奈良(その2)
近代建築と正倉院展
(その1)→奈良少年刑務所→転害門
→旧奈良県 物産陳列所→飛火野→
頭塔→吉備塚→奈良 国立博物館→
南都銀行→【近鉄 奈良駅】
2014年10月30日 快晴 28,706歩
旧奈良市水道計量器室
大正11年(1922年)奈良市の上水道の営業開始に合わせて設置された
中央に“水”の文字がデザインされている
後方から見る水道計量器室
般若寺(はんにゃじ)山門
山門前を通過、境内のコスモスは終盤を向かえている、最盛期の様子は【こちら】
旧奈良監獄
旧奈良少年刑務所
表門
明治41年(1908年)竣工、当時の五大監獄(他に 千葉・長崎・鹿児島・金沢)の一つとして運用された、後に奈良刑務所と改称され昭和21年(1946年)には奈良少年刑務所となった。重要文化財に指定されている。詳細は【こちら】
表門の塔
レンガ塀
転害門(てがいもん)
二度の戦火を免れ天平時代の創建当初の東大寺の伽藍建築を残す唯一の建物、転害門の名前はこの辺りの地名「手貝」からきており、国宝に指定されている
天平時代創建の名残を示す朽ちた柱
転害門脇の石仏群
鼓阪(つざか)小学校々門
校庭のナンキンハゼ
正倉院
校倉造の高床式倉庫で聖武天皇・光明皇后ゆかりの品や天平時代の美術工芸品を収蔵していた建物で、国宝に指定されている
校倉造は断面が三角形の材(校木:あぜぎ)を重ねて壁を形成し、木材の湿気による収縮を利用し室内の湿度の調節を行うことが出来る
天宝時代の正倉院修理時の軒丸瓦
天宝時代の正倉院修理時の軒平瓦
正倉院の門扉
鹿の親子
東大寺大仏殿
南大門 仁王像
鏡池の小鹿
旧奈良県物産陳列所
明治35年(1902年)竣工、奈良県物産陳列所として開館、飛鳥時代〜鎌倉時代にかけての建築様式を取り入れているとのこと。現在は奈良国立博物館の「仏教美術資料研修センター」となっている
建物右側(中央 楼閣)
建物左側(西楼)
玄関 車寄せ
中央楼上の窓
飛火野
春日大社の創建のため春日大明神が鹿と共にに降臨した際に随行する八代尊が口から火を吹き明かりとしたが、その火が消えずに飛び回ったことから「飛火野」と呼ばれるようになった
ナンキンハゼの紅葉
鹿の飛び出し注意
頭塔(ずとう)
奈良時代の土塔で神護景雲元年(767年)に東大寺の僧実忠が築造したと伝えられる。僧玄肪の頭を埋葬したとの伝承がありこの名が付けられたとのこと
一辺30m、高さ10m 7段の土塔で東西南北の各面には石仏が置かれている
吉備塚
遣唐留学生として養老元年(717年)から18年間 長安の都に滞在した吉備真備(きびのまきび)の墓
吉備塚
奈良教育大学内にある直径20m・高さ3〜4mの円墳
旧陸軍連隊 糧秣庫
(奈良教育大学 教育資料館)
明治41年(1908年)に陸軍連隊の糧秣庫(りょうまつこ)として建設された。その後 図書館・実習室・物品倉庫等として使用されたが現在は教育資料館となっている
教育資料館 玄関
奈良ホテル
明治42年(1909年)に竣工・営業開始、辰野金吾・片岡安の設計
玄関 車寄せ
鹿の飛び出し注意
奈良国立博物館
現在、正倉院展が開催されているので鑑賞して帰ることにする、時間も遅く人も少ない
南都銀行本店
大正15年(1926年)の竣工、当初は南都銀行の前身である「第六十八国立銀行」奈良支店として開設された。設計は辰野金吾の弟子である長野宇平治、登録有形文化財に指定されている
イオニア式柱の古代ギリシャ風建物
玄関
「行銀都南 社會式株」
柱の下には財産の象徴である「羊」の彫刻がデザインされている
二階窓