京都・長岡京

牡丹・ツツジ・一初
と名残の桜


【阪急 長岡天神駅】→八条ヶ池→
乙訓寺→
【阪急 西向日駅】==
【阪急 河原町駅】
→建仁寺→
明智光秀塚→
【京阪 三条駅】==
【京阪 出町柳駅】
→本満寺→御霊
神社→白峯神宮→千本釈迦堂→
千本えんま堂→
【乾隆校前BS】

2019年04月27日  晴れ




八条ヶ池
霧島ツツジ

今が満開の深紅の霧島ツツジ
池の東側と長岡天神の参道(池の
中堤)の両側に咲く。左奥は参道
(池の中堤)、右奥は六角舎



参道(池の中堤)の太鼓橋
寛永15年(1638年)領主の八条宮
により灌漑用の溜池として造られ
た。太鼓橋は加賀 前田候の寄進



参道(池の中堤)の北面
通常少し遅れる北面も満開である



参道(池の中堤)の中道


対岸の「錦水亭」
創業 明治14年(1881年)
筍料理の老舗料亭



参道(池の中堤)の一の鳥居
高さ約10m、幅12m、重量50トン



びっしりと咲く満開の霧島ツツジ



乙訓寺
牡丹

表門(赤門) ・ 境内に咲く牡丹
7世紀頃の推古天皇勅願、聖徳太子
創建の古刹、弘法大師空海は1年間
別当職として住した。境内に咲く牡
丹は奈良 長谷寺から移植されたも
のとのこと





本堂前の牡丹
今年は例年に比べ花の数は
少ないようである。一昨年
の様子は【こちら】















早良親王供養塔(左)
健脚祈願のわらじ絵馬(右)
藤原種継の暗殺首謀者の嫌疑によ
りここに幽閉されたといわれる



クロガネモチの古木(左)



光明寺道々標

「左 やなぎ谷 右 光明寺」
「本山 光明寺」




小畑川に咲く
カラシナ(芥子菜)




石塔寺
ツツジ

山門 ・ 本堂


本堂前庭に咲くツツジ


本堂脇に咲くツツジ


阪急にて【西向日駅】から
【河原町駅】に移動



建仁寺
牡丹

法堂の周囲に咲く牡丹
建仁2年(1202年)に元号を寺号と
し、鎌倉幕府第2代将軍・源頼家の寄
進を受け栄西禅師を開山とし建立












明智光秀の首塚

天王山の合戦で羽柴秀吉に敗れた
明智光秀は近江の坂本城へ逃れる
途中、小栗栖竹藪にて農民に襲われ
自刃した。家来が光秀の首を携え知
恩院の前まで来たが夜が明けたた
め首を埋めたとされる


 
首塚の祠と後に建
てられた五重石塔



京阪にて【三条駅】から
【出町柳駅】に移動



本満寺
牡丹と桜

境内に咲く牡丹と八重桜


散り桜


散り桜


本堂前の八重桜




牡丹の花と緑の枝垂桜
先月の枝垂桜の様子は
【こちら】




いつもは閉じられている入口も今日
は開けられている。扉の向こうの庭
も牡丹が満開である














仏陀寺

山門と本堂


境内に咲く牡丹


本堂前に咲くシラン





天寧寺

山門と本堂前の表門


山門越しに見る比叡山
あたかも比叡山を描いた一幅の絵画
に見えるため「額縁門」と呼ばれる


境内のツツジと山門





御霊神社
一初(イチハツ)

鳥居・神門と社殿
御所の南東にある下御霊神社に
対し「上御霊神社」とも呼ばれる



拝殿には5月に行われる「御霊
祭」の神輿が置かれている





境内の南西側濠に咲く一初
アヤメ・ショウブ・カキツバタに先
んじて咲くため一初と名付けられた



境内の南東側濠に咲く一初









白峯神宮

鳥居・神門と拝殿


蹴鞠発祥の地である白峯神宮の
本殿には多くのサッカーボール
が奉納されている



拝殿脇に咲く八重桜


花びらが散るのではなく
花の形のまま散っている




千本釈迦堂
(大報恩寺)


山門と本堂(国宝)
本堂前には八重桜



本堂と八重桜


阿亀(おかめ)塚と普賢象(桜)
鎌倉時代 嘉禄3年(1227年)大工の
棟梁 長井飛騨守高次は本堂の建立
で柱の1本を切り間違える。妻の阿亀
は斗組(ますぐみ)を使うことを助言
し無事本堂が完成、しかし女の助言
で完成したことを苦に阿亀は自害した
現在の本堂はこの時に建てられた
もの。阿亀像の手には斗組が持た
れている



普賢象
桜の中でも最も遅咲きの桜で二本
の雌しべが普賢菩薩が乗る象の鼻
に似ているのでこの名が付いた




千本えんま堂
(引接寺
いんじょうじ

本堂 ・ 地蔵池


鐘楼と普賢象(桜)


普賢象


紫式部供養塔と紫式部像


紫式部供養塔と普賢象


普賢象の落ち花




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