大垣

【JR美濃赤坂駅】→安楽寺→
昼飯大塚古墳→赤坂宿→
【養老線 東赤坂駅】===【養老線
広神戸駅】
→日吉神社→【養老線
池野駅】==【養老線揖斐駅】===
【谷汲山BS】
⇔華厳寺

2016年12月17日 曇/雨 31,937歩

西国三十三個所 華厳寺



JR美濃赤坂駅
(美濃赤坂線 終点)

大垣駅より乗車の普通列車(左)
昔なつかしい木造駅舎(右)



駅名表示板 ・ 待合室


北側から見る美濃赤坂駅
JR美濃赤坂駅は広大な西濃鉄道
貨物駅の片隅にある。貨物用ホー
ムは荷物などもなく廃線駅さながら
である。西濃鉄道貨物線(市橋線)
は更に北に延び石灰石の採石場
まで伸びている



南側から見る美濃赤坂駅
JR美濃赤坂駅は左奥にある



西濃鉄道貨物線
(昼飯線2006年廃線)
廃線跡の踏切を渡り安楽寺へ



【JR美濃赤坂駅】から
昼飯大塚古墳・赤坂宿を経て
【養老線 東赤坂駅】へ



安楽寺

参道石段 ・ 地蔵石仏
聖徳太子の創建と伝えられる由緒
ある寺院である。関ヶ原の合戦で
徳川家康は眺望の優れたここ岡山
に陣を敷いた



本堂 ・ 鐘楼


徳川家の「丸に三つ葉葵」の紋





「関ヶ原合戦岡山本陣址」
・「弘文天皇壬申難古蹟」



  
「弘文天皇壬申難古蹟」碑(左)
「関ヶ原合戦岡山本陣址」碑(右)



金生山(かなぶやま)
石灰・大理石の採石場を望む、ま
た多くの化石が発掘されることで
知られる




昼飯大塚古墳

長さ150m・高さ13mの前方後円
墳で、上中下段からなる三段築
成4世紀末(古墳時代中期)の
築造



後円部 ・ 円筒埴輪列


後円部上から前方部を見る(左)
前方部下より古墳全景を見る(右)




採石場入口?


 
昼飯線廃線跡の踏切番小屋



赤坂宿
 
赤坂宿御使者場跡と兜塚
関ヶ原合戦前日の杭瀬川の戦い
で戦死した野一色頼母を兜と共
に葬ったと伝えられる



赤坂宿の古い家並
赤坂宿は江戸日本橋から京都三
条を結ぶ中山道六十九次の57番
目(日本橋を含め)の宿場町



かつての「たばこ屋」



子安神社






秋葉神社



新聞販売所 ・ 御休処「五七」
57番目の宿から「五
七」と名付けられた





 
妙法寺
山門と「所郁太郎墓」碑



 
お茶屋屋敷跡
徳川家康が将軍専用の
宿泊所として造られた





 
「中仙道赤坂宿脇本陣跡」碑





立ち並ぶ土蔵



「左 たにくみ道」道標
ここが谷汲街道の起点となる




旧清水家住宅







本陣跡(赤坂本陣公園)
左奥:所郁太郎像


 
所郁太郎像(左)
「中山道赤坂宿本陣跡」碑(右)
医者で勤王の志士。赤坂宿の蔵
元の子として生まれ、後に大坂の
適塾で緒方洪庵に学び京都で開
業、長州藩時代には刺客に襲わ
れた瀕死の井上聞多(井上馨)
の命を救った。陣中で腸チフスの
ため没す享年28歳



 
西濃鉄道貨物線(市橋線)の赤
坂本町駅跡軌道は今も使用され
ているようである




赤坂港会館
中山道の谷汲街道分岐に位置
し、明治8年に建設された「警察
屯所」を復元したもの



赤坂港会館と赤坂港(左)
杭瀬川に設けられた川港で、か
つては石灰や大理石の積出港
として賑わった





火の見櫓


東赤坂駅
(養老鉄道 養老線)



養老鉄道で【東赤坂駅】から
【広神戸駅】に移動
日吉神社をへて【池野駅】へ



神戸町の古い町家




日吉神社

鳥居 ・ 拝殿

弘仁8年(817年)
に最澄により創建



本殿(中央)


本殿


三重塔(重文)
神社境内に建つ三重塔
神仏習合の名残をとどめている



三重塔一層目 ・ 絵馬



池野駅
(養老鉄道 養老線)



養老鉄道で【池野駅】
から【揖斐駅】に移動



揖斐駅
(養老鉄道 養老線)



名阪近鉄バスにて華厳寺まで往復


谷汲山バス停



華厳寺参道




華厳寺

仁王門
山号の「谷汲山」から「たにぐみ
さん」と呼ばれ親しまれれてい
る。西国三十三所観音霊場の
三十三番札所で結願/満願のお
寺となっている



(吽形像) 仁王像 (阿形像)


山門の大草履 ・ 本堂に続く参道


本堂


本堂外陣


鐘楼




経堂(右)


至勢、観音像(左)




玄関 ・ 客殿


法輪院前(左)


水琴窟(右)



揖斐駅
(養老鉄道 養老線)


揖斐駅バス停 ・ 揖斐駅
バスで揖斐駅に戻ったの
は午後5時を過ぎていた





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