山科・東山

半夏生と桔梗と
睡蓮と紫陽花と



【地下鉄 小野駅】→勧修寺→
大石神社→岩屋寺→天得院
→智積院→
【阪急 河原町駅】

2015年07月04日 曇り 23,673歩



勧修寺(かじゅうじ)

白い築地塀が続く参道
春には桜の並木が美しい



山門
後醍醐天皇の勅願により昌泰3年
(900年)天皇の生母 藤原胤子の
供養のために創建された



唐破風の大玄関


中門
右の屋根は寝殿



寝殿(明王殿)


寝殿扁額(左)


書院(重文)


書院前の灯籠
水戸光圀公により寄進されたと伝
えられ、「勧修寺型石灯籠」と呼
ばれユニークな形で知られる



観音堂


「氷室の池」の睡蓮と半夏生
(ハンゲショウ)









「氷室の池」の半夏生
半夏生は七十二候の1つで夏至
から数え11日目(7月1日又は2
日)をいう。また半夏生の葉が
半分白くなり化粧した頃を示す
ともいわれる。関西ではこの日
に蛸を食べる習慣がある





アオサギ


境内の千年杉とアオサギ





半夏生(ハンゲショウ 


睡蓮


本堂前に咲く半夏生


本堂の窓に映る半夏生


半夏生(左) ガクアジサイ(右)


ガクアジサイと本堂



仏光院

本堂
昭和24年(1949年)大阪堀江の名
妓 大石純教尼は明治38年(1905
年)の中川万次郎六人切りの巻添
えで17歳で両腕を無くした、その
後出家得度し身障者の救済に生
涯を捧げた






本堂扁額「大慈悲」(左)



大石神社

赤穂浪士 大石良雄(内蔵助)を
祀る、境内には大石良雄に因む
資料が展示された宝物殿がある



拝殿


本殿








大石良雄像(内蔵助)


義人社
赤穂浪士討入りに際し武器を調達
した大阪本町橋の豪商 天野屋利
兵衛が祀られている、墓は地蔵院
(椿寺)【こちら】にある

“天野屋利兵衛は
男でござる・・・”



忠臣蔵宝物殿


宝物殿内
仮名手本忠臣蔵 鳥山人画















大石良雄像


大石良雄


大高源五





ミニホース 花子
大石神社の境内で飼われ
ている、平成11年生まれ




大石良雄遺髪之塚

大石良雄は赤穂城の明け渡し後
ここに隠棲し討入りの作戦を練
ったとのこと






忠誠堂

大石良雄の供養堂、大石良
雄の座像が安置されている




岩屋寺

参道石段
大石良雄(内蔵助)の閑居地として
知られ、「大石寺」とも呼ばれる



山門


本堂大石良雄の念持仏 大聖
不動明王が安置されている



本堂前に咲く桔梗





木像堂
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ
)の位牌、四十七士の木像と位牌
、大石良雄の遺品が祀られている



茶室「可笑庵」
手前の老木は大石良雄
手植えの梅とのこと



「可笑庵」の扁額(左)





滑石街道
(すべりいし)

古い町屋が続く滑石街道を西
へ、山越えで東福寺方面へ




大石の道分岐

ここで滑石街道を外れ左の鳥
居をくぐリ大石の道へ
(左)
道標「左 栗栖野
花山赤堀氏」
(右)



大石の道

石鳥居(左)
道標「大石乃瀧」
(右)


鳥居脇に咲く紫陽花


竹林の道を行く



大石良雄(内蔵助)
かくれ家跡


標石「大石良雄かくれ家跡」(右)
神社の廃墟跡があるが、この辺
りに隠れ家も在ったようである



白藤大明神


大石の滝?(右)



更に大石の道の竹林を登る








東福寺・伏見稲荷分岐


祠跡か?石積みが残されている


東福寺方面への下山道





天得院

山門
東福寺の塔頭寺院で通常は拝観
できないが桔梗と紅葉の時期の
年に2回は拝観ができる



方丈庭園の桔梗


西庭の灯籠と桔梗


手水鉢と桔梗


華頭窓から見る西庭


庭園に咲く桔梗


白花の桔梗



東福寺 通天橋

臥雲橋から見る通天橋
今は青もみじが綺麗である




智積院

冠木門


本堂(金堂)に続く参道
参道の両脇には桔梗の花が咲く



参道脇に咲く桔梗





本堂(金堂)


本堂(金堂)と僧


本堂(金堂)裏に咲く紫陽花














明王堂と蓮池








宝篋印塔(本堂脇)




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