京都

梅を巡る

【阪急 河原町駅】→菅大臣神
社→成徳尋常小学校→長講堂
→任天堂→法住寺→智積院→
妙法院→蹴上発電所→聴松院
→不明門→満願寺→金戒光明
寺→西雲院→真如堂→東北院
→後一條天皇陵→下鴨神社
【京阪 出町柳駅】

2015年03月12日 晴れ 32,841歩



菅家邸址碑
 
仏光寺通りから入る路地の入口に
は「菅家邸址」碑が立つ、路地の
突き当りには菅原道真の邸宅跡地
「紅梅殿神社」がある




紅梅殿神社

拝殿菅原道真が太宰府に左遷され
るに際し詠まれた「飛び梅の地」
と伝えられる


東風吹かば 匂ひをこせよ
梅の花 主なしとて
春な忘れそ



「紅梅殿」鳥居扁額



菅大臣神社
(かんだいじんじんじゃ)

参道入口鳥居

 
左:「天満宮降誕之地」
右:「府社菅大臣神社」



境内入口鳥居と紅梅


本殿
「菅大臣天満宮」とも呼ばれ
菅原道真が祀られている



境内摂社と紅梅


手水舎


左:前足を挙げた狛犬
右:前足に蛙?の狛犬






右:天神さんの梅紋をデ
ザインした井戸の滑車






菅大臣神社 風雷坊

屋根には邪鬼除けの鐘馗さん


鐘馗さん(左)と猫?(右)



成徳尋常小学校
・成徳中学校跡


明治2年(1869年)開校の下京第
九番組小学校は明治9年(1876年
)にこの地に移転し成徳尋常小学
校となる。正徳尋常小学校は昭和
6年(1931年)に移転、昭和22年
(1947年)成徳中学校となる、そ
の後成徳中学校は平成19年(20
07年)に近隣4中学校と統合され
廃校となり下京中学校となった



■「軟式野球発祥の地」少年像
正徳尋常小学校は大正8年(
1919年)に初めて軟式野球
の試合が行われた
■「京都市立成徳小学校跡地」
「京都市立成徳中学校跡地」
「栄養給食の先駆けの地」碑



「成徳消防分団」の看板が架かる











室内廊下


玄関ロビー


階段


玄関








元六條御所 長講堂
 
平安末期 寿永2年(1183年)後白河
法皇が晩年を過ごした院御所「六條
殿」の持仏堂が始めとされる



本堂
正式寺号は「法華長講弥陀三昧堂
」、本尊 阿弥陀三尊像(重文)



御影殿(御影堂)



山内任天堂
(任天堂旧本社)


昭和5年(1930年)に建設
された任天堂の初代本社



玄関
リノベーションされ令和3年(202
1年)にはホテルになるとのこと









玄関まわりの彫刻



法住寺

山門


竜宮門


本堂


十三重石塔と紅梅


十三重石塔と山門
左は向いの三十三間堂






智積院

冠木門


本堂(金堂)と紅梅


本堂裏に咲く紅梅・白梅(1)


本堂裏に咲く紅梅・白梅(2)


本堂裏に咲く紅梅・白梅(3)











妙法院門跡

山門


大玄関と白梅


本堂


本堂前の紅梅


本堂脇に咲くマンサク


本堂(普賢堂)


境内前庭の白梅


七卿落碑
幕末の文久3年(1863年)に公
武合体派と相対す勤王急進派の
三条実美一派がここ妙法院に集
まり西国に向け都落ちした、い
わゆる「七卿落」である




円山公園

粟田 大燈呂(だいとうろう)
毎年10月に粟田神社の「世渡り神
事(れいけん祭)」で使われる世
渡り神事の様子は【こちら】



出世えびす


右:青龍



ひょうたん池のアオサギ



蹴上発電所

明治23年(1890年)に竣工、翌年
より発電を開始、琵琶湖第一疏水
から取水する水力発電所。現在の
レンガ造りの建物は明治45年(19
12年)に竣工した第2期蹴上発電
所のもの。後ろの白い建物と右の
配管は現在稼働中の発電所



六角の星の紋章は京都市水利事
業に用いられたもので「水」の
字をデザインしたものとのこと




大聖摩利支尊天
聴松院

 
西門
南禅寺の境内塔頭寺
院、本尊は摩利支天



本堂前には白梅が咲いている





不明門
(あけずのもん)

伏見城内の門を移設したもので
一度も開けられたことがないた
め「あけずのもん」と呼ばれる



門扉の装飾



満願寺

山門


山門の山号「示現山」扁額


本堂


本堂前に咲く紅梅


文子天満宮



金戒光明寺

総門


総門の装飾


御影堂


大方丈(後方)


大方丈前の紅梅


蓮池(兜之池)と白梅





阿弥陀石仏
五劫思惟(ごこうしゆい)の阿弥
陀仏で、永い修行の結果螺髪(ら
ほつ)が盛り上がった


阿弥陀石仏頭部後ろ



西雲院

山門
金戒光明寺の塔頭寺院であり 山門
は新しく建て替えられたようである



本堂と白梅


紫雲石が安置されたお堂





真如堂

総門(赤門)


本堂


本堂扁額


三重塔(法華塔)


赤崎弁天


小林君之碑

小林(おばやし)祝之助は明治25
年(1892年)に大豊神社宮司の長
男として生まれた。深草練兵場で
着陸に失敗し操縦士が死亡したの
を目撃したのをきかっけに第一次
世界大戦中にフランスに渡り操縦
を学ぶ。フランス軍航空兵に志願
したが大正7年(1918年)にドイ
ツ軍機と戦闘中に撃墜され戦死し
た。この石碑は真如堂の境内に
ある







東北院(とうぼくいん)

山門


本堂
本堂の脇には平安時代の歌人和
泉式部遺愛の「軒端の梅(後
継)」が咲く




後一條天皇
菩提樹院陵


第68代天皇、陵形は円丘。皇女
・章子内親王も葬られている




下鴨神社

南口鳥居
正式な社号は「賀茂御祖(
かもみおや)神社」という



お白石
式年遷宮で本宮の垣内に敷きな
おされる石で、ここで3年間お清
めをして再度敷かれる、お清め
を終えた石をお白石という。鳥
居両脇に積まれている



楼門と廻廊


舞殿(まいどの)


舞殿の脇には鳥?のモニュメント


光琳の梅
尾形光琳の国宝「紅白梅図屏
風」はこの梅をモデルに描い
たと伝えられる



光琳の梅と楼門






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