愛宕山

雪の愛宕山

【清滝バス停】→月輪寺→愛宕山(愛
宕神社)→表参道→
【清滝バス停】

2015年02月02日 曇・雪 25,604歩



清滝から月輪寺を経て愛宕神社へ



清滝

清滝 渡猿橋


与謝野晶子 碑文

“ほととぎす 嵯峨へは一里
    京へ三里 水の清滝 
      夜の明けやすき”





月輪寺への参道登り、少し積雪が見えてきた


身代地蔵
花が供えられ大切にされているようである



登るにつれ積雪が多くなってきた



月輪寺
(つきのわでら)


本堂
天応元年(781年)慶俊僧都の開創と伝えられ、空也上人・法然上人もここに参禅した。明智光秀も本能寺の変の前に愛宕神社に戦勝祈願をし月輪寺にも詣でた



左手前は本石楠花(天然記念物)


法然上人像






雪がだんだんと深くなってきた


大杉谷分岐
雪の尾根道を登る、左に下りると大杉谷









愛宕神社

参道石段
かつては「阿多古神社」と呼ばれ、全国900社ある愛宕神社の総本社。創建は大宝年間(701〜704年)に役小角(えんのおづぬ)と泰澄(たいちょう)により朝日峰に創建された「元愛宕(こちら)」のが始めとされる。その後天応元年(781年)に和気清麻呂により愛宕権現を祀る「白雲寺」が建立され神仏習合の修験道の道場として栄えた。しかし明治の神仏分離令により「白雲寺」は廃絶となった


参道鉄鳥居


鉄鳥居柱の猪


神門


本殿


奥宮
天正10年(1582年)に本能寺の変直前には明智光秀が戦勝祈願に詣で織田信長を討つことを決心した。その時に時に詠んだ歌が

“時は今 あめが下しる 五月哉”




絵馬


猪の額


本殿 猪の透かし彫り


逆さ猪の透かし彫り


奥宮


末社


石灯籠列



表参道を下る







黒門
「京口惣門」ともいわれ、かつては丹波口にも門があったとのこと、黒門内には天台宗の寺院が建ち並んでいた



黒門と地蔵型丁石











ハナ売場(樒の売場)
かつては愛宕神社の火伏の神花である樒(シキミ)を売っていた



地蔵型丁石


板碑型丁石



いったん表参道から外れケ
ーブル愛宕駅に立ち寄る




ケーブル愛宕駅跡

昭和4年(1929年)開業、当時は距離2.1km・高低差640mと共に東洋一といわれた、しかし昭和19年(1944年)に金属類回収令により廃止となった


駅舎1階から見る雪景色


駅舎1階のタイル壁


駅舎1階全景


駅舎2階への階段


駅舎2階


天井のツララ


窓のツララ


屋上


駅のホーム跡



表参道に戻る




水尾への分岐「水尾の別れ」








地蔵型丁石


大杉大神


石仏と表参道


愛宕山ケーブル軌道跡


愛宕山ケーブル軌道跡


二の鳥居


清滝バス停




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