芦屋・西宮
近代建築
【阪急 芦屋川駅】→重信医院→仏教
会館→兼平橋→カトリック芦屋教会
→芦屋警察→旧 芦屋電報電話局→
旧松山家住宅→打出天神社→西宮回
生病院→旧 辰馬喜十郎住宅→旧 八
馬汽船本社→今津小学校(六角堂)
→【阪急 今津駅】
2014年10月02日 曇り 7,103歩
重信医院
大正15年(年)竣工のハーフティンバー様式の洋館、谷崎潤一郎の“細雪”の「櫛田医院」のモデルになったことで知られる 〔芦屋市西山町〕
ヨドコウ迎賓館
大正7年(1924年)「旧 山巴(やまむら)家住宅」として竣工、設計はフランクロイド・ライト。建物内部の詳細は【こちら】
芦屋川右岸に沿って河口方向に進む
仏教会館
昭和2年(1927年)竣工、 〔芦屋市西山町〕
兼平橋
芦屋川に架かる橋で、上を国道2号線が通る。この橋の東詰めに平安時代の歌人 在原兼平の別荘があったことからこの名が付けられた
兼平橋の親柱 「大正十四年十二月架」
カトリック芦屋教会
昭和28年(1953年) 〔芦屋市公光町〕
聖堂内
芦屋警察署 玄関
昭和2年(1927年)竣工、現在はロマネスク様式のアーチ窓と玄関部分のみ建設当初のものが残されている 〔芦屋市公光町〕
アーチ窓の残された部分
正面玄関の残された部分
正面玄関 フクロウが夜も見張っている
正面玄関 照明
正面玄関 扉
阪神 芦屋駅
ホームの一部が芦屋川の上にある、駅は明治38年(1905年)の阪神電車の開業と同時に使用されておりホームの橋梁部にはかつての面影が残されている
開業当時の面影を残す装飾
旧 芦屋電報電話局
昭和4年(1929年)竣工、旧 逓信省の電報電話局として建設、ネオ・ルネッサンス様式の建物で現在は「芦屋モノリス(結婚式場・レストラン)」として営業している 〔芦屋市大枡町〕
白い御影石のアーチ窓が続く
旧 松山家住宅
旧 芦屋市立図書館打出分室
(現 芦屋市立打出教育文化センター)
明治後期に大阪で建てられた「逸見銀行」をこの地に移築、松山興兵衛所有をへて「芦屋市図書館打出分室」となり、現在は「芦屋市立打出教育文化センター」となっている 〔芦屋市小槌町〕
打出天神社
神社の創建については定かではないとのこと。神社の前は「打出小槌町」となっており、京都から西国街道を西に下がってくるとこの辺りで初めて海岸に打ち出ることから「打出」と呼ばれるようになったとされる。また、一寸法師「打出の小槌」の伝説も残されている 〔芦屋市春日町〕
拝殿
拝殿前の狛犬
本殿
芦屋市から西宮市に入る
夙川河口
西宮回生病院 玄関棟
昭和60年(1985年)に再建されたがこの玄関棟は昭和の初めに建てられた当時の建物が残され現在も病院の玄関として使用されている 〔西宮市大浜町〕
玄関
玄関扉
玄関脇の窓
玄関 風除室
風除室天井
玄関ポーチ(車止)柱の基礎
玄関脇の大きなシャコ貝
旧 辰馬喜十郎住宅
明治21年(1888年)に辰馬(たつうま)財閥の分家 南辰馬家の当主 辰馬喜十郎が神戸居留地の英国領事館を参考に建てたとされる洋館2階建。江戸時代より続く酒蔵で「白雪」のブランドで知られている。 〔西宮市浜町〕
住宅に続く煉瓦造りの建物は酒蔵か?
細長く続く煉瓦造りの建物
煉瓦造りの建物 出入口
宮水
六甲山の花崗岩の細砂層を流れこの海岸付近の貝殻層の影響でカルシュウムやリン成分を多く含む湧水(宮水)で清酒の醸造に最適であったため西宮では醸造業が発展した。“宮水”の呼び名は「西宮の水」から呼ばれるようになった
宮水の井戸
沢の鶴 宮水井戸
旧 八馬汽船本社
(多聞ビル)
昭和3年(1928年)竣工、多聞酒造の建物であるが現在は使われていない 〔西宮市久保町〕
正面玄関
建物側面
建物裏側
今津小学校(六角堂)
明治15年(1882年)に今津小学校の校舎として竣工、その形から「六角堂」と呼ばれている。 〔西宮市二葉町〕
六角堂正面
門燈
玄関扉
六角堂二階部分
阪急 今津駅