芦屋・御影

近代建築

【芦屋川駅】→ヨドコウ迎賓館→
阿保親王塚→親王寺→
【打出駅】
==【御影駅】
→沢の井→御影公
民館→旧石屋川隧道→綱敷天
満神社→中勝寺→甲南病院→

【御影駅】

2015年09月02日 晴れ 21,101歩



芦屋川

開森橋の定点撮影
右上の建物はヨドコウ迎賓館




ヨドコウ迎賓館

旧山邑(やまむら)家別邸として
大正13年(1947年)にフランク・
ロイド・ライトの設計により建設
された。建物の内・外装には栃
木県産の大谷石が多用されて
いる



正門
昭和22年(1947年)に淀川製鋼
所が社長邸として購入、平成元
年(1989年)に「ヨドコウ迎賓
館」として公開された



左:門灯
右:「重要文化財 淀川製鋼所迎
賓館 1918年フランク・ロイド・
ライト設計」



左:玄関灯
右:玄関柱


玄関


玄関車寄せ


2階への階段


2階応接室


応接室の六角形を基
調とした机と椅子



応接室電気スタンド


飾り銅板の窓


応接室暖炉


応接室柱


応接室暖炉の天窓


3階への階段


3階和室横の廊下


3階和室
当初のライトの設計には
和室は無かったとのこと



飾り銅板の欄間


飾り銅板


3階和室から見る廊下


3階子供の寝室


机と椅子(復元)


3階家族寝室に置
かれた机と椅子



4階食堂と暖炉


電気スタンド ・ 洗面器


浴室


厨房


4階バルコニーから食堂を見る
4階食堂から直接バルコ
ニーに出ることが出来る



大谷石に彫刻された庇の飾り石


4階バルコニー
奥の階段を下りると3階バルコニー



3階バルコニーへの階段


3階バルコニーより撮影


眼下に芦屋川が流れる
右上のピークは鷹尾山




月若公園
高浜虚子 三代句碑


この辺りは高浜虚子ゆかりの地
で芦屋川河畔には虚子と長男・
孫娘の親子3代の句碑が建つ



高浜虚子 親子3代の句碑

咲きみちて こぼれる花も
無かりけり
(虚子)

六甲の 端山に遊び
春隣
(年尾)

日に慣れし 花の明るさ
つづきをり
(汀子)

春隣(はるどなり):春近し




在原業平歌碑

在原業平はここ芦屋の地に別荘
を持ち「伊勢物語」を著した。
別荘は芦屋川の左岸 業平町付
近にあったとされる




世の中に たとえて桜の
なかりせば 春の心は
のどけからまし

(在原業平)




業平橋

芦屋川に架かる業平橋


大正14年(1925年)架設



阿保親王塚

平城天皇の皇子 阿保親王(792
~842年)の墓、直径36mの円
墳で周濠を有する



伊勢物語“芦屋の段”でこの地と
ゆかりのある在原業平は親王の
子である




斎藤幾太胸像基台

斎藤幾太(1859~1938年)は叔
父の経営する藤田組の役員をし
ていた。しかし若くして打出で
隠居の身となるが夜間学校の
開設など村の発展に尽力した。
胸像は戦時中の金属供出で撤
去され今は基台のみ残されて
いる




大楠公戦跡碑

建武3年(1336年)楠木正成が足
利尊氏との打出合戦でこの辺り
に陣を張ったとされる。3ヵ月後
に尊氏と再び湊川で合戦となる
が敗れて討死する



大楠公戦跡碑



親王寺
(阿保親王ゆかりの寺)


承和11年(844年)阿保親王
の菩提寺として建立された



本堂


右:寺紋の「一天三光」は親王の
子孫である毛利家の家紋となっ
ている



鐘楼 ・ 梵鐘



阪神電車にて【打出駅】
から【御影駅】に移動




沢の井

阪神御影高架下にある湧水、神
宮皇后が朝鮮出兵の帰りこの泉
に顔を映し化粧をしたと伝えら
れ、これが地名「御影」の起源
となった



エメラルドグリーンの澄み
切った水が湧き出ている




御影公会堂

尚和8年(1933年)白鶴酒造7代
目社長 嘉納治兵衛の寄付によ
り建設



公会堂の西には石屋川が流れる


公会堂2階・3階の西南部


石屋川越しに見る


正面玄関








西口


1階ホール





昭和8年の当時の御影町長「安
達儀一」により公会堂建設の経
緯が記されている









2階集会室


暖炉



旧 石屋川隧道
(日本初の鉄道トンネル)


隧道西側
日本最初の鉄道トンネル(長さ61
m)で明治4年に竣工、天井川で
ある石屋川を木製の仮水路を造
り川底を掘り下げトンネルを造っ
たとのこと【現地説明板参考】。
現在JR東海道本線は右上の高
架となっている



左:JR高架の下に建つ記念碑
かつてはここに隧道が
通っていたようである
右:説明板脇に置かれた石造物
旧 石屋川隧道の
装飾の一部か?



天井川の石屋川とJR高架


隧道東側



綱敷天満神社

一の鳥居


拝殿
別雷大神(わけいかづちのおお
かみ)が天神山に祀られたこと
に始まり、聖徳太子が四天王寺
建立の際に御影石を採石し倉稲
魂大神(うかのみたまのおおか
み)を祀った。その後菅原道真
の子孫 菅原善輝が太宰府に赴
く途中に菅原道真にゆかりある
この地に綱敷天満神社を創建
し別雷大神と蒼稻魂神を合わ
せて祀った



絵馬


境内摂社 白龍大神


筆塚



中勝寺

左:山門
右:「平野備前守忠勝菩提所」碑
中勝寺は元来「忠勝寺」と称さ
れ忠勝を祀った菩提寺である



:山門の「三つ葵」紋
右:「竜胆車」紋


本堂


鐘楼


平野忠勝墓
赤松円心の家臣、観応の擾乱
で足利尊氏に敗れ帰農し農民
の指導者となった




甲南病院遠望

丘の上に見える甲南病院、
手前下は阪急神戸線高架




深田池

かつて平野忠勝の居城 平野城
(御影村城)の東の防衛線(濠)
となっていた




甲南病院本館

玄関入口
昭和9年(1934年)竣工



門柱


甲南病院本館


北側玄関


玄関灯


















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