加東・西脇(その1)

観応の擾乱(光明寺合戦)

【JR滝野駅】→多聞院→遍照院→大慈院→花蔵院→光明寺→(その2)

2013年08月17日 れ 22,846歩



JR滝野駅

西脇市行の各駅停車


駅舎はガラス張りのモダンな建物となっているが、無人駅である。 駅前には加東市のマスコットキャラクター“加東伝の助”のモニュメントが建つ。


加東市のマスコットキャラクター“加東伝の助”



五峰山を望む

駅前の陸橋から見る五峰山(ごぶさん 標高260m)、先ずは五峰山頂上にある光明寺に向かう。


滝野町マンホール



参道の山道を登る






 



展望台


展望台にて





光明寺 境内入口

地蔵堂・手水舎がある光明寺参道入口
光明寺本堂までは500n余りの坂道が続き、参道の両側には光明寺の塔頭寺院4院が建ち並んでいる。



地蔵堂


手水地蔵


手水舎


手水鉢



参道坂道の石仏







光明寺塔頭 多聞院

山門前石段


山門


本堂


毘沙門堂



光明寺塔頭 遍照院
 
山門


本堂



光明寺塔頭 大慈院
 
山門への石段


山門


山門 扁額


本堂


善導大師御影堂
善導大師は中国浄土教の僧で、法然上人や親鸞聖人に大きな影響を与えたとされる。



「善導大師」扁額


二重塔


地蔵菩薩石仏
左下の奥には御朱印箱が納められている。


 
宝篋印塔(左)と地蔵菩薩石仏(右)

 
御朱印箱(左)
箱の蓋には「慶安元年 御朱印箱 五峯山 光明寺 三月吉日」と刻まれている。



御朱印箱(左)


境内に咲く蓮の花



光明寺塔頭 花蔵院

山門と地蔵菩薩石仏


地蔵菩薩石仏


山門


山門 扁額


本堂



光明寺

山門(仁王門)
本尊は十一面千手観音で「播磨高野」と呼ばれている。 創建は推古天皇2年(594年)に天竺(インド)より渡来した法道仙人と伝えられている。 
南北朝時代の観応2年(1351年)に足利尊氏と高師直(こうのもろなお)の軍勢が光明寺境内に陣を構えた足利直義(尊氏の弟)の武将 石塔頼房軍を攻めた「光明寺合戦」
の舞台となった所である。

:足利尊氏と足利直義の兄弟による争い「観応の擾乱」において戦われた「光明寺合戦」

 
仁王像


本堂


文殊堂
天和2年(1682年)の建設、境内で一番古い建物とのこと。



鎮守社


鐘楼


宝篋印塔

 
閼伽井の水


地蔵石仏と如来石仏


常行堂


地蔵堂



古い道標とユリの花













加東・西脇(その2)へ




inserted by FC2 system