京都


雪の金閣寺

【金閣道バス停】→金閣寺→千本ゑんま堂(引接寺)→釘抜地蔵(石像寺)→雨宝院→妙蓮寺→本法寺→摩利支天堂→妙顕寺→【地下鉄 鞍馬口駅】

2021年12月27日 晴れ 14,099歩



金閣寺(鹿苑禅寺)

鏡湖池と金閣(鹿苑寺舎利殿)
応永4年(1397年)足利義満により建立、昭和25年(1950年)に放火によって焼失、昭和30年(1955年)に再建された。






金閣(鹿苑寺舎利殿)


鏡湖池(南側)
池の中央の島は「葦原(あしはら)島」



鏡湖池の名の通り、今日は風もなく静かな水面には金閣が映える。








屋頂の鳳凰


金閣(鹿苑寺舎利殿)裏側


方丈(客殿)


陸舟(りくしゅう)の松











銀河泉
足利義満がお茶の水に使用した



厳下水
足利義満が手洗いに使用した



金閣寺垣と虎渓橋
金閣寺垣の竹垣は右と左で組み方が異なっている



龍門の滝と鯉魚石





安民沢(あんみんたく)の池と白蛇の塚(中央奥の石塔)


白蛇の塚


足利義政愛用の富士形手洗鉢


茶室「夕佳亭(せっかてい)」
境内の一番高い処にある



夕佳亭 〇△□の窓


夕佳亭の室内


夕佳亭の竃


腰掛石



千本ゑんま堂
(引接寺
いんじょうじ

本堂
この辺りは、平安時代には「蓮台野」と呼ばれ京都の三大風葬地の一つで、ここに小野篁(たかむら)が閻魔法王を安置したのが始まりとされる。 



本堂内 おびんずるさん(賓頭盧尊者)
後ろに本尊の閻魔法王が安置されている



本堂裏の地蔵池


鐘楼


紫式部像と紫式部供養塔
ここに紫式部供養塔があるのは、小野篁とは生きた時代は異なるが紫式部が小野篁に傾倒したことに由来するとのこと。



ゑんま法王


上から見下ろすゑんま法王



釘抜地蔵
(石像寺
しゃくぞうじ

参道入口 山門
弘法大師 空海が唐から持ち帰った石に刻んだ地蔵尊が祀られている。 人々の苦しみを抜く(苦抜き)ことから「釘抜地蔵」と呼ばれるようになった。 願掛けをし後に苦しみが無くなった人は、釘抜と八寸釘2本を付けた絵馬を奉納するとのこと。


 
境内入口 山門
山門前には大きな釘抜と2本の釘が立つ



本堂


本堂正面に置かれた大きな釘抜


本堂の壁にぎっしりと貼られた釘抜の絵馬


釘抜と八寸釘2本の絵馬


阿弥陀堂(本堂の後ろにある)


阿弥陀堂三尊 石仏
(鎌倉時代 重文)



大師堂(観音堂)と手水舎(弘法加持水)


不動明王・地蔵尊 石仏



街角のお地蔵様




化粧をして西陣織を身につける



雨宝院
(西陣聖天宮)


山門


本堂
本尊 大聖歓喜天



観音堂(千手観音菩薩 重文)


大師堂
弘法大師像が祀られている。



寶稲荷大明神他が祀れれている



サザンカの花



本隆寺 築地塀

本隆寺は現在本堂の改修工事中である。





京町屋

突き当りを右に進むと200m余りで妙蓮寺に到る



妙蓮寺

山門


本堂と御会式桜


御会式桜
日蓮上人が入滅した10月13日頃から咲き始め、翌年の4月8日頃に満開となる桜









庫裏


鐘楼



本法寺

本堂脇から見る多宝塔
堀川通から本堂脇を通り境内に入る



本堂


長谷川等伯像
安土桃山から江戸時代にかけての絵師、「絹本著色日堯像(重文)」などが所蔵されている。



光悦翁手植之松


多宝塔


多宝塔正面


多宝塔と本堂(左奥)


開山堂


唐門


鐘楼とサザンカの花


山門(仁王門)


山門 扁額「叡昌山」



摩利支天堂

本法寺の山門を入った所の境内に鎮座する。


本堂


摩利支天の使いの狛猪


本堂に続く小堂





妙顕寺

山門
元享元年(1321年)日蓮宗の道場として日像上人によって創建されたのが始まり。 



山門脇に咲くサザンカの花





本堂


本堂 扁額


三菩薩堂


「勅賜三菩薩」扁額


尊神堂(鬼子母神堂)


尊神堂(鬼子母神堂)扁額


御真骨堂
日蓮・日郎・日像の遺骨が祀られている。



御真骨堂 扁額(二層目)


御真骨堂 扁額(一層目)


鐘楼




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