甲山


【自宅】⇔甲武橋⇔甲東梅園
⇔関西学院大学⇔甲山森林
公園⇔神呪寺⇔甲山
【往復】

2020年02月17日 晴れ



今日は自宅から甲山を往復


伊丹市のマンホール

昆陽池(こやいけ)に飛来する
白鳥
がデザインされている
鴨は伊丹市の市の鳥でもある




時友神社
(ときともじんじゃ)

すぐ北側を新幹線が通る。天平
年間(729~745年)に行基菩薩
により観音菩薩と須左男命を祀
り創建した常法寺の神宮寺とし
たのが始めとされる



拝殿


祭神は須左男命と大国主命


摂社弁財天(左)と稲荷社(右)


鳥居扁額 ・ 境内に咲く椿



尼崎市のマンホール




新幹線高架に沿って西へ



時友東歩道橋



武庫川の堤防に行き当たる



武庫川の堤防より甲山を望む、
甲山がシルエットのように見え
る、左は国道171号線 甲武橋




甲武橋

甲武橋を西に渡る


すぐ北側には新幹
線の橋梁が架かる




西宮市のマンホール

甲武橋を渡ると西宮市に入る



新幹線高架に沿って更に西へ



上大市庚申塔

阪急 甲東園駅の東側



阪急 甲東園駅




閑静な住宅街の石段を登る


石段の道が続く


石段に咲く



甲東梅林

そう広くはないが200本
の梅が植えられている
















学園花通り

正面(西)には甲山と関西学
院大学の時計台が見える




関西学院大学
西宮上ヶ原キャンバス



時計台(旧図書館)
ヴォーリズの設計、昭
和4年(1929年)竣工



時計台正面玄関


時計台


関西学院大学エンブレム



称名入り剣札型道標

「右 中山 左 西宮 道」と刻まれ
ている。奥の坂道には甲山大師
の町石が建つ




甲山大師の町石

甲山大師(神呪寺)へ「十三丁」の
町石、上には梵字が刻まれている




供養碑

江戸時代中期に大坂新町の折
屋徳兵衛の母妙心が娘の菩提
を弔うために建立




上ヶ原浄水場



甲山森林公園

甲山森林公園 東入口


甲山大師の町石
甲山大師(神呪寺)へ「八丁」



甲山森林公園シンボルゾーン
正面(西)には甲山と
“愛の像”が見える



愛の像


森林公園 梅林













森林公園西入口
を出て神呪寺へ



神呪寺への道
(甲山大師道)の石仏達














神呪寺
(かんのうじ 甲山大師)

山門(仁王門)
寺号の「神呪寺」は「神を呪う」で
はなく「神の寺(かんのじ)」とした
ことによる。通称「甲山大師」呼ば
れ親しまれている



参道石段
石段上に本堂・鐘楼、背後には
甲山。早咲きの河津桜が満開と
なっている





鐘楼


河津桜


本堂


境内に立ち並ぶ堂塔


多宝塔



多宝塔脇から今日の目
的のピーク甲山に登る




甲山登山道




登山道から望む大阪市街地



甲山々頂

甲山は第14代仲哀天皇の皇后
神功皇后が国家平安守護のた
め山頂に如意宝珠・兜を埋め
たと伝えられたことからその
名が付いたといわれる



標高309m ・ 二等三角点


山頂の「平和塔」
昭和31年(1956年)に平和を祈る
女性達によって建立された。塔の
下には水晶玉や写経などが埋め
られている【現地説明文参照】


 
塔に刻まれたレリーフ



山頂からは元来た
道を自宅まで帰る




登山と同じ道を下山


眼下に見える神呪寺の屋根


神呪寺参道石段を下る





甲山森林公園
元来たシンボルゾーンを戻る




帰りは「みくるま池」に立ち寄る


みくるま池

甲山森林公園みくるま池
正面奥には甲山



岩に立つ木々


森林公園 東入口に戻る



関西学院大学北西の入口


再び関西学院大学内を抜ける



学園花通りを東へ



阪急 甲東園駅の踏切に戻る
ここから阪急に乗れば楽であ
るが、予定通り自宅まで歩く




甲武橋を東へ渡る


伊丹まで3km



ふり返ると甲山が見える



新幹線高架の脇道を東へ



健速神社に立ち寄る


健速神社
(たけはやじんじゃ)

鳥居
慶雲年間(704~708年)に東西
の野間村にそれぞれ東健速神
社・東健速神社があったが、東
西野間村の合併時に上須佐男
神社となり明治時代に健速神
社に改称したとのこと
【現地説明板参照】



拝殿


拝殿扁額



伊丹市のマンホール

出発地点のマンホー
ルに帰ってきました





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