奈良

コスモスと正倉院展

【近鉄 八木西口駅】
→八木町→
おふさ観音→藤原宮跡→今井町
【近鉄 八木西口駅】===【近
鉄奈良駅】
奈良国立博物館

2019年11月01日 晴れ 24,424歩



近鉄 八木西口駅




ジュール フェリエ
(旧六十八銀行八木支店)

昭和3年(1928年)に旧六十八銀
行八木支店として竣工、イオニア
式円柱の柱を持つルネサンス様
式の建物、現在はフレンチレス
トランとして営業








八木町 下ツ道(中街道)
を南に おふさ観音へ



八木町

古代より横大路(伊勢街道)と下
ツ道(中街道)が交差する処にあ
り交通の要所として賑わった。下
ツ道には古い町並が続く



虫籠窓の古い町屋が軒を並べる




「うだつ」のある町家(右)


虫籠窓


菓子店?の古い看板、スプ
ライトの下はコカ・コーラ?



ばったん床几のある町家



おふさ観音
(十無量山 観音寺)


山門 ・ 鐘楼
昔この辺りにあった鯉ヶ淵池に白
い亀に乗り現れた観音様を村娘“
おふさ”は小さなお堂を建て祀っ
たのが始まりとされる、春と秋
には境内にバラの花が咲く



残念ながら本堂前に咲くバラは
終盤を迎えているようである



境内に咲く色とりどりのバラ






円空庭 「鯉の池」


シュウメイギク ・ ホトトギス




バラの絵馬 ・ 仏足石



東へ藤原宮跡に向かう


耳成山 とキバナコスモス

藤原宮跡の北隣にあるキバナコ
スモス畑にて、耳成山は大和三
山の一つで標高139m、藤原宮
跡の北側にある








藤原宮跡とコスモス

飛鳥時代(694年)に持統天皇に
よりそれまでの飛鳥の地から都が
この地に移されその後文武天皇・
元明天皇に引き継がれた。中国の
唐の都にならい碁盤の目に区切
られた「条坊制」の都であった。
右奥の列柱は大極殿院閣門跡



藤原宮 朝堂院西門
列柱、中央奥は




畝傍山 とコスモス

大和三山の一つで標高199m
藤原宮跡の西側にある




耳成山 とコスモス

大和三山の一つで標高139m
藤原宮跡の北側にある




香久山 とコスモス

大和三山の一つで標高152m
藤原宮跡の東側にある




コスモスと園児達



香久山 とコスモス(望遠撮影)













西へ今井町に向かう


今井町

今井町入口蘇武(そぶ)橋のエノキ


戦国時代に一向宗の今井兵部卿
豊寿により称念寺を中心とした寺
内町を造営し自衛のため周囲に濠
と土居をめぐらした環濠集落を形
成している。虫籠窓の町家が続き
江戸時代の風情が残されている



山尾家住宅
18世紀後半の建設、肥料・木
綿商や両替商を営んでいた



吉村家住宅
文化2年(1805年)の建設、「壷
八」の屋号で肥料・精米・絞油業
を商っていた



順明寺


正面の突き当りは西光
寺、右は上田家住宅



上田家住宅
江戸時代には「壷屋」の
屋号で酒造業を営む





西光寺




今井景観支援センター
旧米谷家の所有で安政3年(185
6年)の建物。今井町並保存整
備事務所となっている











旧米谷家住宅
「米忠」の屋号で金物・肥料商を
商っていた、18世紀中頃の建物





今西家住宅
代々今井町の惣年寄筆頭を務め
た。慶安3年(1650年)の建設



「駒つなぎ」と「駒つなぎ」が
デザインされたマンホール



環濠と今西家住宅(中央奥)


環濠跡地


二重の環濠跡地


春日神社
鳥居 ・ 観音堂



拝殿 ・ 絵馬堂


絵馬






豊田家住宅
もとは木材商で「西ノ木屋」の屋
号をもち2階正面の両端には屋号
を表す“木”の字が描かれている
寛文2年(1662年)の建設



“木”の字の屋号(左)




称念寺今井町はここ称念寺の境
内地として発展した寺内町、本
堂は改修工事中



庚申さんの「身代わり申」




醤油樽 ・ 醤油製造装置


豊太閤本陣跡
豊臣秀吉の吉野遊覧時の本陣跡





河合家住宅
「上品寺屋」の屋号をもつ酒
蔵、18世紀中頃の建設





蘇武井(そぶのい)
かつて今井町千軒の家々で
使用されていたとのこと




近鉄にて【八木西口駅】
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奈良国立博物館

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興福寺 五重塔




興福寺 中金堂

再建中であったが昨年の平成
30年10月に落慶を迎えた





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