岐阜

【伊奈波通バス停】→伊奈波神社→
常在寺→妙照寺→岐阜大仏正法寺
→岐阜城(金華山)→岐阜公園
→【鵜飼屋バス停】


2017年12月28日 晴れ 21,674歩

日本三大仏 岐阜大仏



JR岐阜駅



岐阜駅前 黄金の織田信長像
34才でこの地に入った信長は当
時“井ノ口”と呼ばれていた処を
“岐阜”と改め、「楽市楽座」を
施行。この頃から「天下布武」の
旗印を使うようになり天下統一
を志したといわれる




伊奈波神社

善光寺・伊奈波神社一の鳥居
景行天皇14年創建、1900年余り
の歴史を有する古社、一の鳥居
の前には「岐阜善光寺」がある。
壬申の乱では天武天皇が戦勝祈
願した



二の鳥居と石橋と社殿


神橋(石橋)


楼門


神門


拝殿


神輿蔵


神輿蔵扉の彫刻


絵馬



金華山々頂の岐阜城

金華山はかつては「稲葉山」と呼
ばれ標高329m、山頂には岐阜
城が建つ




卯建(うだつ)のある町家




常在寺

山門・庫裡


本堂
斎藤道三が菩提寺としここを拠点
に美濃国を統一したと伝えられる




妙照寺

山門


本堂
開創天文3年(1534年)、慶長5年
(1600年)に時の城主織田秀信か
ら竹中半兵衛屋敷跡を寄進されこ
の地に移ってきた。元禄元年(16
88年)には松尾芭蕉が奥書院に
1ヵ月滞在したといわれる

“やどりせむ
あかざの杖と
なる日まで”
芭蕉


庫裡・鐘楼



岐阜大仏 正法寺

大仏殿
天宝3年(1832年)に38年の歳月
をかけて完成、高さ13.7mあり奈
良・鎌倉と並び日本三大仏の一つ
、木・竹・粘土・紙から出来ており
漆と金箔で仕上げられている



大仏





大仏殿内の仏達










金華山七曲道登山口

「大手道」とも呼ばれかつては城に登
るときに使用され、城下町があった



金華山登山道

前半は緩やかな七曲道が続く



後半の尾根道は石段が続く



金華山々頂展望台

西側眼下には長良川が流れる


南には遠く木曽川が流れる



金華山々頂付近にて

題目塚・井戸跡
題目塚は斎藤道三以降の戦没
者の霊を慰めるため建てられた



井戸跡・岐阜城資料館



岐阜城(復興天守閣)

斎藤道三・織田信長・池田輝政・
織田秀信など幾多の戦国武将に
よって治められた。1567年に織田
信長の居城となったときに稲葉山
城から岐阜城に改称



現存する石垣



ロープウェイ
山頂駅より





下山は登と同じ七曲道を下りる



鋸型の家並

通りに対し家屋がそれぞれ少し
づつ斜めに構えている。敵に攻
められた時にはかぎ型の家の陰
に潜んで敵を待ち伏せる




三重塔

金華山の麓、岐阜公園の東側斜
面に建つ大正天皇即位を祝い市
民の寄付により大正6年に建立さ
れた




織田信長居館跡

後方には三重塔とロープウェイ



御手洗池(みたらしいけ)

かつてこの地に伊奈波神社が
鎮座していた時この池で手を
洗った




日中友好庭園

岐阜市と中国抗州市の友好都市
提携10周年を記念して造られた




「川端康成ゆかりの地」碑

川端は大正10年に3度岐阜を訪
ねている当時13才の少女 伊藤
初代に会うためである。この時の
出会いを短編小説「篝火(かがり
び)」に表している



篝火の像



長良川鵜飼観覧船
と金華山





長良川越しに見る
金華山


金華山々頂には小さく岐阜城
が見える長良川のこの辺りで
鵜飼が行われる




岐阜駅




雪の伊吹山
(帰りの車窓にて)





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