長浜・木之本
・米原


【JR長浜駅】
⇔舎那院 
【JR木ノ本駅】⇔木之本地蔵院
【JR坂田駅】
→法秀院の墓→
蛭子神社→朝妻神社
→大谷吉継の墓→
【JR米原駅】

2017年8月19日 晴れ 27,409歩

舎那院に芙蓉を訪ねて


JR長浜駅から舎那院まで往復


JR長浜駅前

三献の茶 秀吉と光成
「出会いの像」
長浜城主秀吉は鷹狩りで立ち寄
った寺(観音寺)でお茶を所望し
た。寺の小姓は最初は大きな茶
碗に温めのお茶をたっぷり出し、
二回目・三回目はだんだん熱くし
茶碗も小さくしてお茶を出した。気
遣いに感じ入った秀吉は小姓を
家来にしたというこの小姓こそ後
の石田三成とのことである


 

 
長浜城下の古い町並み

 
秀吉の城下らしく瓢箪の
デザインとなっている




芙蓉の寺
舎那院
(長浜市宮前町)
 
山門前に咲く芙蓉・護摩堂

 
 本堂




本堂前の芙蓉

 
山門前の芙蓉は咲き始めているが
境内の芙蓉はまだ早いようである



JRにて長浜駅から
木ノ本駅に移動



JR木ノ本駅




木之本地蔵院
(長浜市木之本町木之本)
 


本堂


阿弥陀堂(奥)と書院(左)

 


地蔵大銅像(高さ6m)

 
眼病にご利益がある片目
をつむった「身代わり蛙」



書院


書院庭園

 
書院天上・扉の菊のご紋



北国街道沿いに
残る古い町家


北国街道は金沢城下と鳥居本宿
(中山道)を結んでおりここ木之本
宿には本陣・問屋・伝馬所などが
設けられていた




旧本陣 竹内五左衛門家

先祖は日本の薬剤師免許の第一
号(1893年)で現在も“漢方の本
陣薬局”として営業されているよう
である


 
“御薬所本陣”の看板や古い
漢方薬の看板が多数掛けら
れている






明楽寺
(長浜市木之本町木之本)
 
 山門・太鼓楼

 
本堂



 
太鼓楼山・門扉の彫刻



富田酒造
 
店舗の裏には古い酒蔵が建つ
清酒“七本鎗”の銘柄で知られ
ている

 
軒先には大きな杉玉
が掛けられている


 
酒蔵



隠れ里 重内

最近開店した猪肉料理専門店



旧湖北銀行木之本支店
(きのもと交遊館)


1935年(昭和10年)湖北銀行
木之本支店として建設明治以降
には警察署・湖北銀行・滋賀銀
行と変遷この地は問屋跡地とし
て物資の積み替え、車馬の乗り
継ぎが行われ栄えた


 
玄関に1985年(昭和60年)まで
使用されてた“滋賀銀行木之本
支店”の看板が掛かる

 



旧滋賀相互銀行
木之本支店


滋賀相互銀行として建設(建築
年代は不明)その後 滋賀相互
銀行はびわこ銀行・関西アーバ
ン銀行と変遷した。この建物は
使用されなくなって30年近く経
過している




岩根醤油醸造店


 



ダイコウ醤油

創業嘉永五年の老舗醤油蔵

 



北国街道と北国脇住環
分岐のT字路

 
北国街道を南に行くとT字路の
民家前の道標に突き当たる
「みぎ 京 いせみちひだり 江戸
なごや道」と刻まれている
北国脇往還※はここから左へ
関ヶ原・大垣方面に至る
※:北国街道木之本宿と中
山道関ヶ原宿を結ぶ街道




白木屋醤油店

江戸時代の末期創業、
商標は“ヤマク醤油”


 



山路酒造

創業470年に及ぶ老舗の酒蔵、
桑を使い独特の香りを出した
“桑酒”を醸造している。北国
街道の通るこの地は桑畑が広
がり絹織物の産地となっていた


 
北国街道の道標・大きな杉玉



伝馬所跡

脇本陣跡、江戸時代末期には
ここで街道を通る人馬を検認し
たといわれる




牛馬市跡

室町時代より昭和の初めまで年に
2回牛馬の競り市が開かれ、多く
の馬宿があった山内一豊の妻千代
が名馬を買ったのはこの地とされる


 
馬宿 平四郎 当時の馬宿の
姿をとどめる平四郎家住宅


 
馬宿 平四郎の看板・
千代の顔出しパネル




江北図書館
(長浜市木之本町木之本)


  
明治39年(1906年)設立 滋賀県
に現存する最古の図書館 木ノ本
駅のすぐ東側にある


JRにて木ノ本駅から
坂田駅に移動



JR坂田駅




山内一豊・千代像
「なでしこ」
(JR坂田駅前)

ここ宇賀野は山内一豊の
妻 千代の出生地である



 
坂田駅から北西に法秀院墓に
向かう、道端にはキバナコスモ
スが咲く




法秀院墓
(米原市宇賀野)
 
法秀院は山内一豊の母で法秀院
はこの地で一豊の妻として千代を
迎え入れた。一説では自分に代
わり千代に名馬を買わせたのも
法秀院とのこと

 
石扉と玉垣・墓石の台座
明治26年(1893年)の改修時の
旧跡、肝心の墓石は高知から搬
送中に水没したため墓石なしの
状態であったとのこと
【現地説明版要約】



 
霊仙山・伊吹山



かなぼう
 
湧き水の洗い場で水源は霊仙山
からの地下水鉄分が多いためか
赤茶色に変色している




蛭子神社
(米原市世継)
 

ここ世継地区に鎮座する蛭子神
社は前を流れる天野川の対岸の
朝妻筑摩に鎮座する朝妻神社と
の間には七夕伝説が残されてお
り蛭子神社には七夕石(織姫の
墓)がある


 
七夕石(織姫の墓)仁
賢天皇第二皇女(左)
朝嬬皇女(あさづまの
ひめみこ)の墓(右)



拝殿

 
本殿



両神社の間を流れる
天野川を渡る

 



朝妻神社
(米原市朝妻筑摩)
 
ここ朝妻神社には七夕伝説の
石塔 彦星塚(彦星の墓)がある



社殿


彦星塚(彦星の墓)
雄略天皇第四皇子
星川椎宮皇子(ほしかわ
のわがみやおうじ)の墓




天野川の白鷺と川鵜


 



大谷吉継首塚
(米原市下多良)


 
 関ヶ原の合戦で敗北を悟った
西軍の大谷吉継は自刃、その
首は甥の僧祐玄によって運ば
れこの地に埋葬された




JR米原駅
 
JR米原駅西口・JR米原駅東口



米原の古い家並

米原駅から西に300mほどの所
であるが古い町家が続き落ち
着いた佇まいである




青岸寺
(米原市米原)
  
山門・鐘楼


本堂
南北朝時代に佐々木京極道誉
によって光泉寺として創建、国
の名勝に指定された回遊式庭
園がある





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