尾道

【JR尾道駅】
→二階井戸→持光寺
→海福寺→光明寺→宝土寺→
千光寺→天寧寺→艮神社→福善
寺→妙宣寺→慈観寺→正授院→
福善寺→常称寺→浄泉寺→西国
寺→西郷寺→浄土寺→海龍寺→
向酒店→住吉神社→林芙美子像
【JR尾道駅】

2017年08月10日 晴れ 21,607歩

坂と寺の街を歩く



JR尾道駅

背後の山上は尾道城



持光寺への坂道
真っすぐ登ると持光寺、右の階段
は海福寺へ先ずは真っすぐ持光寺
へ坂の登り口には自転車が置か
れている



二階井戸


 
少ない井戸を多くの家で使えるよ
う、坂の上と下の家で共同で使用
していた、現在は使用していない
とのこと。左に見える石段は持光
寺の石段



持光寺
 
 参道石段・方丈


石の山門(延命門)


本堂
持光寺では「にぎり仏」を作ること
ができる、粘土で作る仏であるが
胴体部分は手で握ることによって
形作る素朴なものである



海福寺
 
山門・本堂



 
三ツ首様
江戸末期にこの地を荒らした義賊
の相兵衛・亀蔵・利助の三人は捕
らえられ処刑された、哀れに思っ
た住職は三人の首を寺の境内に
葬り供養したとのこと。首より上の
病にご利益がある



光明寺
 
山門・本堂

 
第12代横綱 陣幕久五郎墓と手形



坂道下り宝土寺へ


宝土寺
 
山門・本堂

 
観音堂・六地蔵


融海上人墓
貞和五年(1349年)



海の見える坂道


千光寺

本堂


大宝山の山頂直下に位置し尾道
の市街地を一望できる。本堂越に
尾道の街と新尾道大橋 ・尾道大
橋(右奥)を望む


 
三重岩・くさり山

 
 三重岩の石仏・くさり山の烏天狗


千光寺山ロープウェイ

 
 玉の岩・鐘楼
玉の岩は烏帽子岩とも呼ばれ昔々
には先端に玉の岩が光輝き人々は
灯台の代わりとしていた、しかし異
国人に持ち去られたため人々は玉
の岩(宝玉)の代わりに毎夜火を焚
いたとのこと。岩の先端には宝玉が
置かれていた窪みがあるとのこと

 
 大仙堂とニコニコ地蔵

 
梵字岩・摩崖仏


中村憲吉寓居
 

 
広島県三次市の生まれでアララギ
派の歌人中村憲吉は、この家に住
み昭和9年(1934年)5月に46才の
若さでその生涯を終えた。



天寧寺三重塔(海雲塔)

嘉慶二年(1338年)建立、創建当
初は五重塔であったが江戸時代
に上層部の破損が大きくなり三重
塔に改修されたとのこと
【現地説明版要約】


 



趣のある坂道を下る
三重塔から少し下ると
天寧寺の境内に至る



天寧寺
 
貞治6年(1367年)に足利義詮に
よって創建、足利三代将軍義満は
厳島参詣の帰りに立ち寄り一泊
したとのこと



本堂



 
五百羅漢堂


艮神社
(うしとら)
 

神門・巨石


拝殿
平安時代初期の806年創建の古
社で、背後の山にある千光寺と同
時期の創建である。社号の艮は
丑寅(東北方向)の鬼門を意味し、
鬼門封じの神社となっている拝殿
脇には巨石が鎮座しパワースポ
ットとして知られている

 
樹齢900年ともいわ
れる楠木の巨木



妙宣寺
 
 山門(竜宮門)・鎮守社


本堂

 
庫裏


慈観寺
 
山門(薬医門)・虚空蔵堂


本堂
牡丹の寺として知られ春には境
内には牡丹の花が咲き乱れる

 
赤松と黒松がからみ
あった“夫婦松”



正授院
(しょうじゅいん)

本堂

 
地蔵石仏・キキョウ


福善寺
 
山門・鐘楼


本堂


鷲が羽を広げたような
枝ぶりの松“鷲の松”


 
枝を広げた“鷲の松”と享保三年
(1718年)火災再建時の鬼瓦




大宝山
福善寺から大宝山(山頂の千光
寺)を望む、左にJRが走る




JR山陽本線「普通 糸崎行」


常称寺
 
山門・常称寺の前を
通るJRと国道2号線
本堂前にはJRと国道2号線が通る
が山門は更にその南側の住宅街
にあり現在は工事中?である



本堂


浄泉寺

本堂

 
本堂前の縁側は広く涼しいため、
かつては昼寝の場所として使われ
ており“昼寝寺”と呼ばれていた。
現在は“昼寝お断り”の注意書き
がある



西國寺

山門(仁王門)


金堂


三重塔

 
 英霊殿・大師堂


西國寺境内から望む尾
道市街地と瀬戸内海



西郷寺
 
山門


本堂
堂内には“泣き龍天井”があり手を
たたくと反響が返ってくるとのこと



浄土寺
 
 山門(重文)・鳩の絵馬 



阿弥陀堂(左)と多宝塔(右)
境内には絵馬にも描かれている
ように沢山の鳩が遊んでいる



本堂(国宝)


阿弥陀堂(重文)


多宝塔(国宝)


(左)宝篋印塔・・足利尊氏の墓
と伝えられる(重文)
(右)五輪塔・尊氏の弟 直義の
供養塔と伝えられる



海龍寺
 
 参道石段・山門(薬医門)


本堂(手前)と阿弥陀堂(右奥)
海龍寺はかつては浄土寺の曼陀
羅堂であったが、焼失・再建後に
海龍寺となった


 
阿弥陀堂・境内裏山の浄土寺
山の下には文楽の墓と石塔類


 
 文楽の墓(左)
板碑・五輪塔・宝篋印塔(右)

初代文楽座の座主
植村文楽軒の墓




新尾道大橋(手前)
尾道大橋(奥)

手前の新尾道大橋には
“ しまなみ海道”が通る



向酒店
 
明治42年(1909年)創業の酒屋


旧 住友銀行尾道支店
(尾道市労働センター)

 
向酒店の西隣にあり、明治37年
(1904年)竣工、現在は尾道市
労働センターとして市が管理して
いる。外観は石造建築に見える
が木造建築に石板を貼ったもの
とのこと


住吉神社
 
境内入口・社殿

\ 
力石
江戸時代には港で働く“仲仕連
中”が力石を持ち上げ力比べを
した。後ろの壁には持ち上げ
た人の名前が刻まれている



 
“潮”像・尾道渡船フェリー乗り場


“林芙美子”像

「放浪記」の著作で知られる林芙
美子は ここ尾道で幼少期を過ご
したといわれる。 台座手前の石
碑には放浪記の一節が刻まれ
ている

「海が見えた 海が見える
 五十年振りに見る
 尾道の海はなつかしい」





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