大山崎・水無瀬

【阪急 水無瀬駅】→若山神社→
水無瀬神宮→サントリーカーブ
→離宮八幡宮→宝積寺
→観音寺→【阪急 大山崎駅】

2016年11月26日 晴れ 22,457歩

サントリーカーブ




阪急 水無瀬駅




島本町立歴史
文化資料館




右は水無瀬離宮の庭園跡の一部
(水を池に注ぐ施設)を資料館前
に復元




楠公父子決別之所

ここ西国街道桜井駅跡は楠木正
成が湊川の合戦を前に子の正行
との今生の別れとなった地



正成、正行(まさつら)像(左)
「楠公父子決別之所」碑(右)



正成(右)、正行(左)
ここで正成は11歳の正行を故郷の
河内に返しいつの日か朝敵を倒せ
と諭し天皇より賜った刀を与えた。
正成はこの後 湊川の合戦で討死
することになる。




若山神社

参道入口 。 赤鳥居
「天王さん」と呼ばれ親しまれてい
る。大宝元年(701年)行基菩薩
により創建、素戔嗚尊が祀られ、
かつては「西八王子社」・「牛頭
天王社」とも呼ばれていた



本殿


境内の紅葉





東大寺水無瀬荘跡
 
「東大寺水無瀬荘跡」碑(右)
天平勝宝年間(749年〜757年)に
聖武天皇により奈良 東大寺に荘
園として与えられた。現在も「三島
郡島本町東大寺」の地名が残って
おり、北へ500m程の所には「東
大寺春日神社」が




水無瀬神宮

鳥居 ・ 絵馬
後鳥羽上皇の離宮「水無瀬殿」
の跡地に上皇を祀ったのが始
めとされる



神門(桃山時代 薬医門)


神門の柱の右上には石川
五右衛門の手形が残る



拝殿 ・ 離宮の水
全国名水百選の一つ
で大阪府下では唯一



客殿(重文)


都忘れの菊
順徳天皇は佐渡流された父の後鳥
羽上皇を偲び佐渡より白菊を移植
し「都忘れの菊」と名付け愛でた




水無瀬川

その名の通り今は
水が流れていない




サントリー山崎蒸留所




サントリーカーブ

287系 特急サンダーバード
JR京都線のサントリー山崎蒸留所
前の軌道は大きなカーブとなってお
り一編成の車両の全てがワンカット
で写りこむため鉄道ファンに人気
がある


223系 新快速 敦賀行


207系 普通 京都行


EF-210系 電気機関車(右)
新快速:最後尾側から (左)



207系 普通 須磨行
右奥はJR山崎駅



HOT-7000系 スーパー
はくと:最後尾側から




西観音寺跡

サントリー山崎蒸留所の入口に
は西観音寺の名残の石仏が祀
られている




サントリーの工場内
の道を抜ける


奥に鎮座する椎尾神社に向かう
突き当りに鳥居が見える




椎尾神社(しいおじんじゃ)

サントリーのあるこの谷は行基菩
薩創建の西観音寺の堂塔が建ち
並んでいた、し明治の神仏分離令
により西観音寺は廃寺となり椎尾
神社が残された



拝殿



関大明神社
 
関大明神社 ・ 「十禅師宮」碑
この地は西国街道の関所「山崎
関」があった処で神社名の由来
となっている。「十禅師宮」碑は
1983年に関大明神社の裏から
発掘された



離宮八幡宮

惣門(高麗門) ・ 中門(四脚門)
離宮八幡宮は荏胡麻油発祥の地
として知られ本殿には多くの食用
油が寄進されている。石清水八
幡宮の元社として知られる



拝殿 ・ 多宝塔礎石



美術館方面分岐

まっすぐ行けば宝積寺、右は
アサヒビール大山崎山荘美術館




大念寺

山門(境内から撮影)


本堂 ・ 鐘楼



宝積寺

山門
神亀元年(724年)聖武天皇の勅命
で行基菩薩が建立したと伝えられる
「打ち出」と「小槌」が祀られている
ことから「宝寺」とも呼ばれる



石造 五重塔(実態は九重塔)
かつては今にも倒れそうに傾いて
いたが前回に訪ねた時にはつい
に倒壊していた。今日は改修され
真っすぐに建て直されている



三重塔と紅葉


三重塔(北側から)
「秀吉一夜の塔」と云われ、桃山
時代に豊臣秀吉が一夜で建てた
と伝えられる



三重塔(南側から)


本堂 ・ 弁財天



アサヒビール大山崎
山荘美術館


入口のトンネル ・ 門柱






庭園の紅葉






山手館への通路(右)



観音寺への道

天下分け目の天王山


背割堤と男山



観音寺(山崎聖天)

鎮守社 稲荷神社 ・ 西山門
平安時代の昌泰2年(899年)に
寛平法皇(宇多天皇)の勅願によ
り創建。「山崎の聖天さん」として
親しまれている



西参道石段を登る


本堂

 
聖天堂 ・ 住友家寄進の灯籠
住友吉左衛門友信寄進の大灯籠


仁王門


小さな門とイチョウの落葉
仁王門を少し下りた所にある





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