桂~茨木

2016年09月05日 曇り 26,177歩

JR京都線「ねじりまんぽ」
を巡る


【桂】・【西山天王山】・【上牧】・
【茨木市】の阪急各駅から「ね
じりまんぽ」を往復


「ねじりまんぽ」
(螺旋状に積まれたレ
ンガ造りのアーチ橋)
鉄道軌道等に対し斜めにくぐるア
ーチ橋ではアーチ部の強度を低下
させないため軌道に対し直交する
ようにレンガを積み上げておりその
ためレンガを捻じって積んだように
見える、因みに“まんぽ”とは坑道
を意味する間府(まぶ)からきたな
ど諸説ある明治10年(1877年)に
京都駅~神戸駅間の営業開始時
に竣工された後に増設された2軌
道(登りの京都方面)はコンクリー
ト橋又は鉄橋となっている



阪急 桂駅



阪急 桂駅より馬場
丁川橋梁まで往復


馬場丁川橋梁(水路用)
「ねじりまんぽ」

JR高槻駅と島本駅の中間
(京都市西京区 牛ヶ瀬奥ノ防町)


北側から見た「ねじりまんぽ」
中央部が「ねじりまんぽ」で南北の
両端はコンクリート橋となっている



南側から見た「ねじりまんぽ」


「ねじりまんぽ」内


垂直腰部のレンガは2段の「イギリ
ス積み」、上部のアーチ部はねじ
れて積まれている




五社神社
(京都市西京区下津林楠町103)

左奥から本殿・拝殿・舞台


本殿 ・ 本殿扁額


境内入口鳥居(左)
灯籠:暦応2年「1339年」刻銘(右)



明治初期以前には習合
関係にあった永福寺




蓮生塔
(宇都宮頼綱供養塔)

頼綱は鎌倉時代の武将で歌人、宇
都宮(栃木県)の豪族で北条時政の
娘婿。幕府に対する謀反の疑いを
受け出家し法名を蓮生と称した。後
に京都に来て法然上人に仕え、
ここ下津林に蓮生寺を創建した




本願寺西山別院
(京都市西京区川島北裏町)


本堂(江戸時代 元和4年建立)


山門 ・ 鐘楼


阪急で移動


阪急 西山天王山駅



阪急 西山天王山駅より
円明寺架道橋まで往復



円明寺架道橋
「ねじりまんぽ」
JR長岡京駅と山崎駅の中間
(京都府乙訓郡大山崎町円明寺)


西側から見た「ねじりまんぽ」


西側から見た「ねじりまんぽ」内
手前の2軌道はコンクリート橋



「ねじりまんぽ」内


レンガがねじれて積まれている


東側から見た「ねじりまんぽ」



小泉川

小泉橋より上流側を見る
山崎の合戦では、ここ小泉川を挟
み豊臣秀吉軍3万数千、明智光秀
軍1万数千の軍が激突した




三浦芳次郎氏碑

小泉橋南詰に建つ、江戸末期に、こ
こ乙訓郡の筍や久世郡の梨の阪神
方面への販路拡大に貢献した



阪急で移動


阪急 上牧(かんまき)



阪急 上牧駅より奥
田畑橋梁まで往復



高槻市神内(こうない)
「まんぽ」

JR島本駅から南へ1km
(高槻市神内1丁目)


ここは「ねじりまんぽ」ではなく、
JR線の軌道と直角に通ってい
るためレンガは水平に積まれ
ている



東側から見た「まんぽ」


水平にレンガが積まれている


水平にレンガが積まれている


西側から見た「まんぽ」
手前の2軌道はコンクリート橋



西国街道を進み奥田端橋梁へ


古い町屋の並ぶ
西国街道を西へ













奥田畑橋梁
「ねじりまんぽ」

JR高槻駅と島本駅の中間
(高槻市 梶原1丁目)


南側から見た「ねじりまんぽ」


「ねじりまんぽ」内から北側を見る


垂直の腰部のレンガは「イギリス
積み」、上部のアーチ部はねじれ
て積まれている



北側から見た「ねじりまんぽ」
手前の2軌道はコンクリート橋



田中寺(でんちゅうじ)
(高槻市梶原1丁目)


山門 ・ 本堂
ガン・痔・神経痛・喘息など
の封じ寺として知られている



本堂脇の百日紅



畑山神社
(高槻市梶原1丁目)


境内入口鳥居 ・ 拝殿


本殿 ・ 梶原寺跡の礎石
梶原寺は白鳳時代(7世紀後半)
創建の寺院でその礎石は神社
の東側で発見




一乗寺
(高槻市梶原2丁目)


山門 ・ 本堂


開山堂と「弁慶の駒つなぎ」
弁慶が馬をつないだクスノキの大木


 
日新上人像(右)



梶原一里塚

淀川の水害かわ守りつがれてき
たため「水あがりの地蔵さん」と
呼ばれている




妙浄寺
(高槻市上牧山手町


本堂 ・ 日進上人像
享禄元年(1528年)日
進上人により創建



阪急で移動


阪急 茨木市駅



阪急 茨木市駅より「ね
じりまんぽ」まで往復



門ノ前橋梁
「ねじりまんぽ」

JR茨木駅から京都方面1.5km
の処(茨木市 田中町・上泉町)


南側から見た「ねじりまんぽ」、上
を特急が通過する新旧の調和が
面白い



「ねじりまんぽ」内
奥の店は伏見屋豆腐店



下の部分は茨木城※の石垣を使用
※:明治初期まで存在
垂直の腰部のレンガは「イギリス積
み」、上部のアーチ部はねじれて
積まれている



北側から見た「ねじりまんぽ」
手前の2軌道は鉄橋となっている



阪急 茨木市駅へ戻る


川本家住宅
(茨木市上泉町)


江戸時代には米問屋を営み、明
治時代以降には日用品の御を
営業、現在はカフェと骨董のギ
ャラリーが併設され国の登録有
形文化財となっている










古い街並みが続く








茨木城 櫓門(復元)

茨木小学校前に復元、15世紀の
初めに茨木氏により築城、元和2
年に江戸幕府の「一国一城」令に
より高槻城が残され廃城となった





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