住吉・堺

ウツギの社

【南海 住吉大社駅】→住吉大社→
【南海 住吉東駅】==【南海 堺東駅】
→反正天皇陵→大仙公園
【JR百舌鳥駅】

2016年05月14日 快晴 23,180歩



住吉大社

反橋


反橋正面 ・ 神門


第三本宮 ・ 第四本宮


第三本宮(手前) ・ 第四本宮(奥)


第二本宮


第一本宮 拝殿


第一本宮 本殿


石舞台



住吉大社
卯の花苑


光台院親王 歌碑
「すみよしの ゆふしでなびく まつ
かぜに うらなみしろく かくるうの
はな」かつては反橋付近まで海
であった



現存する日本の卯の花(ウツギ)の
ほぼ全品種が集められたとのこと





サラサウツギ(右)


ニシキウツギ(左)


ヒメウツギ(左) タニウツギ(右)


絵馬



浅澤社

住吉大社の境外末社、市来杵島姫
命を祀り芸能・美容にご利益がある
。周囲の堀にはカキツバタが最盛
期を迎えている





本殿 ・ カキツバタ



住吉福祉会館
(すみよし村ギャラリー)


大正時代に住吉村の村長をしてい
た油屋さんの住宅、江戸時代に建
てられたといわれる。今はギャラリ
ーとして使用され、かつての油屋
当時の資料が残されている







油とその原料種子のサンプル





南海にて【住吉東駅】
から【堺東駅】に移動



方違神社
(ほうちがい じんじゃ)

南海 堺東駅の東へ400mほどの所に
鎮座、河内・和泉・摂津三国の境にあ
り方位のない聖地とされ方除祈願で
知られる。拝殿前の石碑は「神功皇
后 御馬繋之松 菖蹟」



国土地理院の水準点


河内・和泉・摂津の「三国丘」の碑



反正天皇陵
(百舌鳥耳原北陵)


反正(はんぜい)天皇陵の後円部


第18代天皇で在位は5世紀前半、仁
徳天皇の第三皇子、墳墓は墳丘長
148mの前方後円墳。別途堺市北区
の「東百舌鳥陵墓参考地(土師ニサ
ンザイ古墳)」も反正天皇陵墓に想
定される


 



紅谷庵(こうこくあん)
 
大永年間(1521〜1527年)に堺の
豪商 紅屋喜平が草庵を建てたのが
始めとされる、本尊は十一面観世音
菩薩。



本堂と鐘楼



歴史の道

右 西高野街道 左 竹内街道


道標「歴史の道」

 
道標「高野山女人堂十三・・・」



永山古墳

仁徳天皇陵の陪塚、周
濠にはキショウブが咲く








丸保山古墳

仁徳天皇陵の陪塚



銅亀山古墳
(どうがめやまこふん)







仁徳天皇陵の陪塚



竜佐山古墳
(たつさやまこふん)

仁徳天皇陵の陪塚



仁徳天皇陵
(大仙古墳)


第16代天皇、墳丘長525m(最大長
840m、最大幅654m)の前方後円墳
古墳としては日本第1位の大きさ。





仁徳天皇陵周濠





百舌鳥耳原由来の像

仁徳天皇が御陵を造営した時、鹿が
現れその耳から百舌鳥が飛び出した
ことからこの地を「百舌鳥耳原」と呼
ぶことにしたと「日本書紀」に記載が
ある




千利休像

戦国から安土桃山時代の商人で
茶人(1522年〜1559年)、最後は
秀吉に切腹を命じられる。堺市博
物館前にある




武野紹鴎像
(たけのじょうおう)

戦国時代の豪商(皮革・武具商)で茶
人(1502年〜1555年)、千利休など
の門人に大きな影響を与えた。堺市
博物館前にある




堺市博物館



展示室 ・ 行基菩薩像


こおどり面


祭礼鉾


祭礼鉾 緞通


南蛮屏風

 
人物埴輪 ・ 円筒埴輪


古墳築造図と百舌鳥古墳群の埴輪


大筒


大火縄銃


兜 ・ 鎧



旧堺灯台 燈部

博物館の中庭に展示、昭和27年
の改装時に取り付けられた燈部




大仙公園

どら池と平和塔


大芝生広場



大仙公園 日本庭園

入口


泉池と休憩所
庭園形式は「築山林泉回遊式庭園」



休憩所から見る泉池と廬山


休憩所から見る泉池と甘泉殿


甘泉殿(休憩所 かんせんでん)


石津渓の源流


流杯亭


流杯亭の曲水





旗塚古墳




クワショウ坊古墳




鳶塚古墳
(とびづかこふん)




JR百舌鳥駅





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