三田

心月院のツツジと
くわばらくわばら欣勝寺


【JR三田駅】→心月院→
旧九鬼家住宅→欣勝寺
 【JR新三田駅】⇔武庫川

2016年04月26日 快晴 26,164歩



JR三田駅




妙三寺
 
詩人 三好達治が少年期に
祖母の住むこの寺で育った



三好達治の文学碑
“柿の花 狭筵に散る
春の日の 少年の日
も人を恋ひゐし”

狭筵(さむしろ):小さいむしろ


妙三寺 山門と本堂



正覚寺

鐘楼門


本堂と本堂扁額



本町通

江戸時代の城下町
のなごりを残す町並






小寺泰次郎翁出生地碑
(こてら たいじろう)
 
天保7年(1836年) 三田足軽町に
生まれる、白洲退蔵らと藩政改革
を進める。その後神戸にて商社
小寺商会を設立し富を築く、相楽
園は泰次郎の屋敷跡【現地説明
板参考】




西方寺
 
伊丹 有岡城主 荒木村重の重臣
荒木平太夫が居城を三田へ移し
た際に西方寺も移された【現地
説明板参考】



本堂



川本幸民 出生地
足軽町

幕末・維新期の医師で蘭学者(18
10年~1871年)、江戸でオランダ
医術を学ぶ、特に物理・化学を極
め西洋書籍の翻訳や技術の紹介
を進める。マッチの試作、ビールの
醸造、写真機の組立・撮影など日
本の科学技術の先駆けをなした。
「化学」という言葉を始めて使用し
たことでも知られる【現地説明板
参考】




カトリック三田教会

昭和27年(1952年)に三田藩家
老 九鬼兵庫の屋敷跡に建設、
その名残が門構えに残されて
いる【現地説明板参考】










元良勇次郎出生地
(もとら ゆうじろう)
薬師町

 
日本最初の心理学者(1858年~
1912年)、父は三田藩の儒学者
で旧姓は杉田という、アメリカに
留学し哲学・心理学を修める



レトロな郵便ポスト
 



白洲退蔵出生地
薬師町
 
三田藩に仕えた儒学者の家系に
生まれ(1829年~1891年)、小寺
泰次郎と共に藩政改革を進める、
後に横浜正金銀行頭取・岐阜県
大書記官を歴任。神戸女学院創
設者の一人で白洲次郎の祖父。
右の写真の標石は「兵庫県立三
田高等女学校跡地」




心月院

山門
初代三田藩主 九鬼久隆が梅林
寺を改め心月院と号した、九鬼家
の菩提寺となっており境内には
先代守隆から13代隆義までの墓
がある、境内には白洲次郎・白
洲正子の墓もある



唐破風総門


総門から本堂を見る
本堂前庭ではツツジの刈
込が最盛期を迎えている



前庭から見る総門総門


前庭全景














本堂内から見る前庭


本堂内


本堂に展示された抜き文字の作品




白洲(しらす)次郎(左)と
妻白洲正子(右)墓
芦屋市出身(1902年~1985年)、
戦後の連合軍占領下で吉田茂
の側近として活躍。後に東北電
力の会長を務める



白洲次郎(右)と白洲
正子(左)の墓石裏面



九鬼家代々の墓



昔懐かしい「ナシ
ョナル」の看板

 
「温水ボイラーはナショナル」
裏面は「流し台はナショナル」




金心寺

山門 ・ 本堂
1300年前 藤原鎌足の子
定彗和尚の開基と伝わる



護摩堂 ・ 石造の祠


一願地蔵尊


手水鉢
7世紀の金心寺創建時の礎石
裏側には柱の穴が開いている




川本幸民 顕彰碑




三田城跡

現在は市立三田小学校・県
立三田高校となっている




元良勇次郎 顕彰碑
(もとら ゆうじろう)




藩校造士館跡




三田博物館跡と石碑

九鬼隆一により大正3年に開設
された日本初の民間博物館、




有馬会図書館跡

県下第一号の私立図書館



旧九鬼家住宅

九鬼隆範(りゅうはん)設計





三田市 汚水管マンホール

三田市のキャラクター キジの
「キッビー」と市の花「サツキ」を
デザイン




欣勝寺への道
(桑原地区)




欣勝寺
(兵庫県三田市桑原)

山門
境内の井戸に落ちた雷の子供を
和尚が助けた後には、ここ桑原辺
りには雷が落ちなくなった。このこ
とから、雷除けのおまじないとして
「くわばら くわばら」と唱えられる
ようになった



本堂


「くわばら くわばら」の井戸







JR福知山線
(三田駅付近)




JR新三田駅

連節バス(右)
「オレンジアロー 連 SANDA」号
平成25年から走行の西日本初の
連節バス




武庫川の桜並木

新三田駅付近にて






inserted by FC2 system