南宮山

関ヶ原合戦の舞台 南宮山

【JR垂井駅】→南宮大社→
南宮山→南宮大社→真禅院
→垂井宿→
【JR垂井駅】

2016年03月20日 晴れ 27,947歩




JR垂井駅




垂井駅から南宮大社
に立ち寄り南宮山へ



金蓮寺
(きんれんじ)
 
山門と鐘楼
嘉吉元年(1441年)の結城(ゆうき
)合戦で敗れた足利持氏の子 春
王丸 ・安王丸の兄弟が京都に護
送される途中、この地で斬殺され
たといわれる

 
本堂と足利春王丸・安王丸の碑
「足利春王丸・安王丸 処刑の旧蹟」




南宮大社 大鳥居




古い建造物

途中で見かけたが建設
年代・用途等は不明






南宮大社

石輪橋と楼門(重文)主祭神とし
金山彦命(天照大神の兄神)が
祀られ全国の鉱山 ・金属業の
総本宮として崇敬を集めている



石輪橋 ・ 楼門の彫刻


楼門の守護神


舞殿(重文)


拝殿と廻廊(重文)


本殿(重文)


南大神社 ・ 高山神社
(本殿脇に鎮座する摂社)



樹下社 ・ 隼人神社
(本殿脇に鎮座する摂社)



刀匠、金属加工業関
係者からの奉納絵馬




南宮稲荷神社

鳥居列




拝所 ・ 本殿








安国寺恵瓊 陣跡

関ヶ原合戦 西軍武将



南宮山登山道



一ツ松の旧蹟

かつてここにあった松は天人降
臨の御神木として「人来の松」と
云われた。新古今集にも詠まれ
ている

おもひいずや みののお山の
ひとつ松 契りしことは   
いつも忘れず     
伊勢

【現地説明板参考】



突然現れた鹿



子安神社(左奥)
高山神社(右)


子安神社(左奥)と高山神社(右)



土塁 ・ 堀切(右)


竪堀(左)



眼下を流れる相川



毛利秀元陣跡
 
毛利輝元の養子、関ヶ原合戦で
は西軍で参戦、ここ南宮山に陣
を構えたが合戦には参加せず






南宮山々頂



二等三角点



元来た道をJR垂井駅に
向け下山、途中 真禅院
・垂井宿に立ち寄る









眠神

明治の神仏分離までは薬師堂
があり堂内には眠神も祀られ、
「寝る子は育つ」から幼児の守
護神としても崇敬されていた
【現地説明板参考】




燐松寺

山門 ・ 本堂
清和源氏の始祖、六孫王源経
基公が平将門の亡位を弔い天
徳元年(957年)に建立・開基さ
れた 【現地説明板参考】



境内に咲く花




燐松寺 鐘楼



吉川広家陣跡

関ヶ原合戦西軍の武将で毛利
元就の孫、合戦当日は毛利側
が参戦するのを押しとどめた
【現地説明板参考】




真禅院

山門


釈迦堂 ・ 薬師堂


護摩堂 ・ 十王堂


観音堂 ・ 解体修理中の本堂


鐘楼 ・ 梵鐘(重文)


三重塔(重文)
関ヶ原合戦で焼失したが徳川
家光により嘉永19年(1642年)
に再建







垂井宿 西の見附

安藤広重の垂井宿の絵
雨の中、大名行列が西の見附
に入ってくるのが描かれている




垂井宿の古い町並

虫籠窓(むしこまど)の町家




小林家住宅(国登録有形文化財)





 





南宮大社 石鳥居(重文)

垂井宿内にある



焼板張・漆喰の蔵

焼板張りの蔵が続く







玉泉寺

山門と垂井之泉(左)


垂井之泉



専精寺
(せんしょうじ)



本堂



垂井城跡
(背後に専精寺 本堂)

関ヶ原合戦で西軍の武将 平塚
為広の居城といわれる。決戦時
には病の大谷吉継に代わり大
谷隊を指揮したが西軍が敗れ、
辞世の句を吉継に送っている

名の為に捨てつる命は
惜しからじ遂にとまらぬ
憂世と思えば




JR垂井駅




竹中半兵衛像

JR垂井駅前には ここ岐阜県
垂井町の出身で黒田官兵衛と
並び称される知将 竹中半兵衛
(竹中重治)の像がたっている





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