新龍アルプス
三木露風と赤とんぼ
【JR本竜野駅】→鶏籠山→的場山
→亀山(きのやま)→【東觜崎駅】
2016年03月15日 快晴 31,703歩
JR本竜野駅
動揺赤とんぼのふる里
駅前の「赤とんぼ親子像」
ここ たつの市は動揺「赤とん
ぼ」の作詞者である三木露風
の出身地である。露風は明治
22年(1889年)に誕生し明治
37年に岡山の閑谷校に転学
するまで過ごした
洋風の民家
龍野橋
揖保川に架かる龍野橋を渡る
今から登る鶏籠山(けいろうさん
手前)と的場山・亀山(中央奥)
姫路信用金庫
龍野支店川西出張所
信用金庫入口
「両替 金融」の看板 ・ 夜間金庫
龍野小学校 門扉
龍野小学校は三木露風の出身
校である。明治6年に龍野町内
に4小学校が設立され、明治20
年に統合し龍野尋常小学校とな
る。大正12年に三木露風作詞
(山田耕筰作曲)の校歌が制定
される【現地説明板参考】
龍野小学校カラタチ
(枳殻)の生垣
三木露風と白露時代を築いた北
原白秋作詞(山田耕筰作曲)の
動揺「からたちの花」の縁でこの
生垣が造られた
蔵のある古い町屋
三木露風 生家
三木露風が生まれ
6歳まで過ごした
かまど ・ 座敷
三木露風(右)
詩「ふるさとを思う」:露風が久し
振りに龍野に帰郷した時の詩
龍野城跡
龍野城は500年前に赤松村秀に
より築造された鶏籠山々頂の山
城とその後に築造されたこの平
山城の二期からなる。現在は石
垣のみが残されており御殿・武
具櫓・隅櫓・埋門が再建されて
いる。別名 霞城とも呼ばれる
埋門(うずみもん)
本丸御殿
御殿玄関 ・ 御殿脇の梅
龍野古城跡に沿って鶏籠山
(けいろうさん)に登る
鶏籠山々頂 龍野古城図
龍野古城跡を登る
竪堀り跡 ・ 侍屋敷の石垣
侍屋敷の蹲(つくばい)と井戸跡
鶏籠山々頂
本丸跡 ・ 「龍野古城」碑
標高218m
削平地 ・ 石畳
両見坂石灯籠
次に登る的場山を望む
小さく山頂の通信塔が見える
一旦鶏籠山を下り的場山へ
的場山登山道
瀬戸内海 家島を望む
眼下に揖保川を望む
的場山々頂
山頂通信塔 標高394m
山頂 三等三角点
亀山へ縦走
亀山(きのやま)への縦走路
383mピーク
三角点
眼下に栗栖ン川を望む
亀山(城山)々頂
亀山々頂 ・ 四等三角点
標高458m
途中 亀ノ池に立寄り
馬立古墳群へ下山
亀ノ池
亀岩
蛙岩
供養碑
南阿弥陀仏の銘が刻まれている
亀山下山道
馬立古墳群
17号墳
22号墳
19号墳
20号墳
7号墳
6号墳
左奥は7号墳
4号墳
1号墳
姥塚古墳(うばづかこふん)
1号墳は姥塚古墳と呼ばれ古墳
時代後期(6世紀後半)の円墳。
ドーム状の玄室をもつことから
朝鮮半島からの渡来人の墳墓
の可能性があるとのこと
高さ3.8mのドーム状の玄室
山神社
鳥居 ・ 拝殿と本殿
新宮町馬立にある白馬像
揖斐川と觜崎
(はしざき)磨崖仏
対岸から見る磨崖仏
鶴嘴山の断崖には地蔵菩
薩が刻まれている(中央)
地蔵菩薩磨崖仏
対岸より望遠撮影
対岸にある磨崖仏遥拝所
觜崎(はしざき)磨崖仏
昔より「いぼ神さん」と
呼ばれ親しまれている
左側の崖にも複数の地
蔵菩薩が刻まれている
JR東觜崎駅
姫路城
帰路乗換駅のJR姫路駅より