広陵

古墳と“かぐや姫”の郷

【近鉄 箸尾駅】→ナガレ山古墳
→讃岐神社→竹取公園→新木
山古墳→山王神社→百済寺→
【近鉄 箸尾駅】

2016年01月20日 曇り 32,573歩



近鉄 箸尾駅
(はしおえき)




辻堂地蔵堂




高田川

川沿いの桜並木
春には桜の花のトンネルとなる




靴下の町 広陵
靴下の生産量では全国1を誇る




乙女山古墳

前方部が短く低い帆立貝に似
た形状の「帆立貝式古墳」。
全長160m、高さ15m




一本松古墳

全長130mの前方後円墳
4世紀末頃の築造




倉塚古墳
(スベリ山古墳)


全長180mの前方後円墳
西暦400年頃の築造




ナガレ山古墳

全長105mの前方後円墳
5世紀初め頃の築造



後円部


前方部から後円部を見る


後円部から前方部を見る



巣山古墳

全長204mの前方後円墳
西暦400年頃の築造



後円部



讃岐神社

鳥居
ここは讃岐の国(香川県)斎部氏
が移り住んだ地で、故郷の神を勧
請したとされる。この地はかつて
は「散吉」と書いて「さぬき」と読ん
でいた、竹取物語の「竹取の翁」
名が「讃岐造(さぬきのみやつこ)
」であったため大和国 散吉(さぬ
き)郷のことであるとし、竹取物
語ゆかりの神社となった



拝殿


本殿



竹取公園

管理事務所と“かぐ
や姫”のモニュメント



かぐや姫


古代住居
竪穴式住居と高床式倉庫







竹林



新木山(にきやま)古墳
(三吉陵墓参考地)


帆立貝式古墳、5
世紀前半の築造



三吉陵墓参考地に治定
宮内庁より被葬者「第30代敏達
天皇皇子押坂彦人大兄皇子舒
明天皇御父」の陵墓参考地に
治定されている




三吉石塚古墳
(みつよしいしづか)

全長45mの帆立貝式古墳
5世紀後半の築造



後円部


後円部から小さな前方部を見る


正面の山は二上山



八嶋神社

鳥居 ・ 鳥居扁額
祭神は大国主命



拝殿


本殿


絵馬殿


絵馬



綿花畑

この辺りは水不足で米の生産に
適さず今も綿花が栽培されてい
る。この特産品の「大和綿花」を
使い靴下の生産が盛んとなった



「大和綿花」



二上山




山王神社

鳥居


拝殿


本殿


絵馬



山王神社
石造伝弥勒菩薩坐像


収蔵庫、右奥は山王神社


弥勒菩薩坐像
永治二年(1142年)の
銘が刻まれている







広陵町マンホール
「かぐや姫のまち」と竹がデザイン




百済寺

春日若宮神社鳥居と三重塔
日本初の官寺である百済大寺伝
承地とされている、現在は無住と
なっているが隣接する春日若宮
神社が管理しているとのこと



本堂(大織冠)
本堂は大織冠(だいしょくかん)と
呼ばれ談山神社の本殿を移築し
たもので本尊は十一面観音



三重塔(鎌倉時代の建立)






山部赤人 歌碑

百済野の 萩の小枝に
春待つと 居りし鶯
鳴きにけむかも




春日若宮神社

拝殿


本殿


絵馬殿


絵馬





与楽寺の梵字池
(ようらくじ)

9世紀の始め与楽寺を訪れた弘
法大師は寺の荒廃ぶりを嘆き梵
字池を掘った



与楽寺(ようらくじ)

山門


本堂
本尊は弘法大師座像脇には十
一面観音立像が置かれている



櫛玉比女命神社

参道入口の朱塗りの鳥居


境内
前方後円墳の後円
部に鎮座している



拝殿


大福寺

聖徳太子の創建と伝えられる、
当初は東西に2つの大福寺があ
ったが今はこの西寺だけが残さ
れている



本堂
本尊 薬師如来坐像




大師堂

大福寺の境内にあり弘法大師を祀る



箸尾(はしお)の古い町並

かつては下街道が通っていた




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