琵琶湖疎水
鴨川運河


鴨川運河を下る(その1)

【阪急 河原町駅】→インクライン
鴨川運河起点→四条河原町


2015年12月22日 曇り



琵琶湖疎水の通る蹴上
インクラインまで歩く



南座吉例顔見世興行

南座は元和年間(1615~1623年)
京都所司代・板倉勝重により四条
河原に公認された7軒の芝居小屋
の1つ。現在残されているのはこ
の南座のみである



京都の年末風物詩
掲げられた勘亭流の“まねき看板”




知恩院 三門

三門は“三解脱門(さんげだつ
もん)※”・山門とも呼ばれる

※:空門、無相門、無願門の3つ
の悟りに通じる門を意味する




青蓮院門跡と楠木

神宮道の長屋門前
に植えられた大楠



神宮道脇に5本の大
楠が植えられている




ここ蹴上インクラインから琵琶湖
疎水に沿って進み鴨川運河(琵
琶湖疎水)の起点へ



蹴上インクライン
(傾斜鉄道)


琵琶湖疎水は琵琶湖・京都間の
船での輸送を目的に明治24年(
1891年)に造られた水路。途中落
差の大きな蹴上では台車に船を
乗せ斜面のレール上を運んだ



蹴上船泊と南禅寺船泊間の
延長640m、勾配1/15の軌道



船の運搬用台車(復元)



蹴上発電所

琵琶湖疎水の通水に合わせ運
転を開始、営業用では日本初
の水力発電所



発電所の水圧管路(導水管)



琵琶湖疎水記念館

インクライン下の船泊にあり琵琶
湖疎水の完成100周年を記念し
て開設された。左には分線水路
トンネル出口がある




分線水路トンネル出口

記念館の地階には疎水分線扇ダ
ムからの分線水路から流れ出る
トンネル出口がある



「楽百年之夢」の扁額
疎水建設時の京都府知事 北垣
国道による落款で“100年先を見
通して完成させた”との思いが
表現されている




琵琶湖疎水記念館
の展示品


スタンレー社製 発電機(左)
ペルトン社製 水車(右)




平安神宮 大鳥居前






夷川ダム

左奥は夷川発電所



北垣国道 銅像

第三代京都府知事、琵琶
湖疎水を造った中心人物




関西電力
夷川発電所


第二疎水事業で建設された発
電所で現在も稼働している




琵琶湖疎水

冷泉通りに沿って西に流れる


「冷泉通り」道路標識(左)
川端通り「田辺橋」(右)




琵琶湖疎水
鴨川合流部


琵琶湖疎水は田辺橋の西で鴨川
(丸太町橋と二条大橋間)に合流
するものと鴨川運河となり南へ流
れるものとに分かれる




鴨川への流出口

鴨川側には流れ出
ていないようである




ここから琵琶湖疎水は全て
鴨川に沿って南に流れ鴨川
運河(琵琶湖疎水)となる



鴨川運河の起点

疎水の水は川端通りと
鴨川の間を南に流れる




鴨川

二条大橋東詰め付
近より上流を見る




鴨川運河 暗渠

ここで鴨川運河は暗渠となる



暗渠の開口部

点検・メンテナンス用の開口
部が要所に設けられている



川端通りと鴨川の間、この
下に鴨川運河は流れる




托鉢の僧に出会う

川端四条付近にて



出雲阿国銅像

四条大橋東詰めにて



鴨川と四条大橋




鴨川の投網漁

四条大橋付近にて
若い女性漁師で腰には
鑑札が下げられている



四条大橋より先は“鴨川運
河を下る(その2)”に続く





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