富田林(その2)

寺内町の古い町並

寺内町→【近鉄 富田林駅】

2015年09月26日 晴れ 25,168歩



富田林 寺内町は江戸時代に南河
内の商業都市として栄え、東高野
街道を行き交う人々で賑わった。
今でも江戸時代の風情を残してお
り「重要伝統的建造物群保存地
区」に指定されている




奥山医院







虫籠窓(むしこまど)



「あてまげ」の辻

街路の殆どが直交しておらず半間
ほどずらした「あてまげ(当て曲げ)
」により見通しを悪くして町の防衛
策としていた






東高野街道 道標
 
宝暦元年(1751年)建立、寺内町
の防火対策として道標には「町中
くわへきせる ひなわ火 無用」と刻
まれている




中井家住宅

屋号を「布屋」と称し、
呉服店を営んでいた




木口家住宅

屋号を「木綿庄」と称し、木綿商を
営んでいた、
江戸時代18世紀中
頃の築造とのこと



左:煙出し 右:京町家でよ
く見られる“ばったん床几”




「あてまげ」の辻




杉田家住宅

屋号を「樽屋善兵衛」と称し油屋を
営んでいた。
18世紀後期の築造



左:虫籠窓(むしこまど) 
右:
杉田醫院」の看
板が架かっている




田守家住宅

屋号を「黒山屋」と称し
木綿屋を営んでいた




中内眼科医院

大正13年(1924年)竣工の旧 国
分銀行本店、
登録有形文化財に
指定されている









背割り水路

町家はそれぞれ東西に複数本通
る主街路に向かって建てられてお
り、下水(排水路)は主街路には
なく
背中合わせとなる町家の裏に
主街路に並行して
通されている






旧 杉山家住宅
(一般公開中)


寺内町の形成当時からの旧家で
町の運営に関わってきた、貞享2
年(1685年)からは造り酒屋と
して栄えた



左:格子窓 右:煙出し


杉山家住宅 前庭











室内(左に大床の間がある)


大床の間
狩野杏山守明 画












欄間


格子の間
室内から見た格子窓



土間




 
二階への螺旋階段
町家には珍しいモダンな螺旋階段
が付けられている、これは杉山家
出身の歌人 石上露子(いそのか
み つゆこ:本名 杉山孝)が取り
付けたとされる



二階


二階の窓より


資料展示室











橋本家住宅




左:虫籠窓 右:格子の窓



興正寺別院と
「あてまげ」の辻


興正寺 太鼓楼(左)
富田林 寺内町は元は永禄年間
(1558~1570年)証秀上人によ
り興正寺別院を中核とし形成
れた自治都市であった




興正寺別院 富田林御坊

山門(右)と鐘楼(左)
伏見城の城門を移築
したものと伝えられる




妙慶寺

本堂



葛原家住宅

安政元年(1854年)建設
左奥には三階蔵が建つ



葛原家住宅 三階蔵



奥谷家住宅

屋号を「岩瀬屋」と
称し材木商を営む






銅板張りの町家

二階の壁には一面に銅板が
張られている、防火のためか






魔除けの鬼瓦(京町家
で見られる鐘馗さん)




北口地蔵尊



 
地蔵尊は安永7年(1778年)に造ら
れた、また祠の右にある道標には
「左 ふじい寺 右 まきのお寺」と刻
まれている




旧 田中家住宅
(一般公開中)


明治25年(1892年)の建設

















旧 田中家住宅 裏庭





じないまち交流館




犬矢来のある町家

京都の町家でよく見られる



近鉄 富田林駅





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