京都

近代建築

【阪急 烏丸駅】→御金神社→
こぬか薬師→京都御苑→

【阪急 河原町駅】

2015年09月15日 晴れ 17,105歩



膳處漢ぽっちり
(ぜぜかんぽっちり)

元は昭和10年(1035年)に建て
られた呉服店、2003年に北京料
理店としてオープン



大津京の御厨所「陪膳の所」が
現在の地名の膳所となった、ま
た店が中国宮廷料理の流れをく
むため店名を“膳處漢”としたと
のこと



“ぽっちり”は舞子の帯留のこ
とで店の奥にあるバーの店名



元の呉服店の名残か?





京都生活工藝館・無名舎

明治42年(1909年)建設、白生
地問屋を商っていた。店舗・住
居・土蔵から成り京都商人の生
活工芸品を見ることが出来る。
登録有形文化財に指定されて
いる



ばったん床几


格子窓





川崎家住宅

大正15年(1926年)建設、主
屋・洋館・茶室・蔵からなる






旧 平井産業

紅殻の壁とステンドグラスの出格
子窓、屋根には3体のシーサー。
京都ホテルオークラの町家レス
トラン「新町1888」として営業






クジャク柄のステンドグラス窓








シーサー?


犬矢来と道標
「左 御池 ・ 右 三条」






御金神社
(みかねじんじゃ)

金色の鳥居
明治16年(1883年)の創建、金属
類を司る「金山毘古命」を祀り“金
運アップ”の神として知られる



社殿
全国唯一のお金の神様



鳥居扁額 ・ 金の神紋入り瓦


金運・開運の絵馬



薬師院

「こぬか薬師如来」寺号標石(右)
当時の住職の夢枕に薬師如来が
出て「私の前に来れば病苦を除く
ことが出来る 来ぬか来ぬか」と告
げたといわれ、それ以降“来ぬか
薬師”と呼ばれるようになった



本堂
本尊として祀られている薬師如
来は、伝教大師・最澄が16歳の
時に彫った7体の内の1体



本堂扁額 ・ ムラサキシキブ



京町家と厄除け

ブロック塀の厄除け


厄除け?



三井越後屋京本店
(ほんだな)
記念庭園

京を拠点に江戸に出店する「江
戸店持(たなもち)京商人」の
三井高利(たかとし)は延宝元年
(1673年)に江戸に越後屋呉服
店を開き京に呉服の仕入れ店
を開業した



「三井越後屋京本店記
念庭園」標石
(右)


三井の紋“丸に井桁三”


庭園内には越後屋京本店時代
からの三国稲荷大明神が祀ら
れている




二条薬業会館

昭和11年(1936年)建設、薬品・
医療品関係の組合が入っている
且てこの辺りは薬屋が軒を軒を
連ねていた。隣には薬の神様
「薬祖神祠」が祀られている



木造二階建


玄関には「NIJO」と書
かれたシンボルマーク



薬祖神祠




雨森敬太郎薬房

江戸時代から続く、膿を吸い出す軟
膏「無 二 膏(むにこう)」を販売






虫籠窓





京都御苑

建礼門前大通り


御苑南の鷹司邸跡の百日紅





京都御幸町教会々堂

大正2年(1913年)建設、設
計はヴォ-リズ建築事務所















「大正二年七月定礎
京都中央基督教団」



レンガはイギリス積
みで積まれている




玉の湯

明治時代に建てら
れた歴史ある銭湯





inserted by FC2 system