葛城・當麻

百日紅の咲く寺

【近鉄 二上神社口駅】→二上神社
→石光寺→傘堂→鳥谷口古墳→
當麻山口神社→當麻寺→蹴速塚
【近鉄 当麻寺駅】

2015年08月10日 快晴 18,671歩



近鉄 二上神社口駅




葛木 二上神社
(ふたがみじんじゃ)

手水舎


拝殿


左:二上神社・倭文神社
・掃守神社の扁額

右:絵馬


左:拝殿の絵馬 右:本殿


二宮金次郎像



二上山(にじょうざん)

右:雄岳(標高:517m)
左:雌岳(標高:474m)




石光寺(せっこうじ)

山門と百日紅
春には牡丹と芍薬が咲く寺として
知られるが、今は山門脇に百日
紅の古木が花を咲かせている



この地で霊光を放つ大きな石が見
つかり、天智天皇(668~671年)
の勅命により弥勒菩薩を刻み堂
宇を建てたのが始まりとされ寺号
も石光寺となった



百日紅(サルスベリ)


山門脇には国際およびアメリカの
牡丹・シャクヤクの団体のエンブ
レム?が取り付けられている



弥勒堂


本堂


本堂扁額


相観の沙(そうかんのすな)
手前の方形は崩れやすく欠けや
すい現世を表わし、奥の円形は
角が無く覚りの世界を表わすと
される



染の井と中将姫像


中将姫像
17歳で出家し當麻寺にこもった
中将姫(藤原鎌足の子孫)は、
蓮の茎から糸を取り この井戸
で洗い清め桜の木(糸掛け桜)
で乾かし一夜のうちに阿弥陀浄
土図(當麻曼荼羅)を織り上げ
たといわれる。このため「染め
寺」とも呼ばれる



糸掛け桜
ガラスケースに入った古木の幹



塔の大心礎
奈良時代前期の塔
の礎石といわれる



鐘楼



道標と庚申塚




高雄寺

境内と収蔵庫(右)
白鳳年間(650~654年)役小角
(えんのおづね)により創建、本
尊は阿弥陀如来、この地はかつ
ては「高雄千軒」といわれ栄えた
が大火により焼失した。収蔵庫
には聖観音と薬師如来が祀ら
れている



観音堂跡


鐘楼



厳島神社




拝殿内の絵馬


本殿



傘堂

真柱(40cm角)1本で建つ
総欅造り瓦葺きのお堂



江戸時代前期にこの地を治めた
郡山藩主 本多政勝の没後に
影堂・位牌堂として建てられた



真柱の脇にはもう1本細
い柱が添えられている



屋根瓦には本多政勝の「
本」の字が刻まれている



真柱の上部には阿弥陀
仏が祀られている
(左)



大池

中央奥:二上山雄岳 左奥:雌岳
手前の丘:鳥谷口古墳


大池のガチョウ



鳥谷口古墳

古墳時代末期(7世紀後半)築造
の方墳(一辺7.6m)。一説には大
津皇子(天武天皇々子)の墓とも
伝えられている。現在は二上山
々頂の墓が大津皇子の墓に治
定されいる



石室入口


石室(横口式石槨)


石室内部



當麻山口神社

赤鳥居


拝殿


本殿


本殿


絵馬殿


絵馬





當麻寺(たいまでら)

黒門(北門)
推古天皇20年(612年)聖徳太子
の弟 麻呂古王の創建による「万
法蔵院(まんぽうぞういん)」が
始まりとされる。石光寺と同じ
く牡丹の寺として知られる


百日紅


中央:本堂(曼荼羅堂)
右:講堂 左:金堂


講堂(重文)


金堂(重文)


本堂(曼荼羅堂)
左奥:西塔 右手前:中将姫像


本堂(曼荼羅堂 国宝)
本尊として中将姫によって織ら
れたといわれる當麻曼荼羅が
祀られている



左奥:東塔 右:西塔


東塔(国宝)


東塔(国宝)


西塔(国宝)


西塔(国宝)





中将姫像


日本最古の石灯籠
(白鳳時代 重文)



日本最古の梵鐘(白鳳時代 国宝)


奥の院 山門・参道
左奥:楼門


奥の院 山門前の石造物


奥の院 楼門
(江戸時代初期 重文)



奥の院から見る東塔・西塔
右手前:奥の院 楼門


奥の院 鐘楼


奥の院 阿弥陀堂


奥の院 境内に咲く百日紅








奥の院 石仏


奥の院 浄土庭園(1)


奥の院 浄土庭園(2)


奥の院 阿弥陀堂屋根


仁王門(東大門)


仁王像



蹴速塚(けはやづか)

第11代 垂仁(すいにん)天皇のこ
ろ当麻村(現在の葛城市當麻)の
強力 當麻蹴速と出雲国から招か
れた強力 野見宿禰(のみのすく
ね)が角力(相撲)をとった。蹴
速は宿禰に腰を砕かれ命を絶た
れた勝利した宿禰には当麻の地
が与えられたといわれる



蹴速塚 五輪塔


當麻蹴速像 線刻彫り碑





葛城市當麻の
マンホール


當麻寺の塔・牡丹・葛城
山がデザインされている




近鉄 当麻寺駅





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