篠山(その1)

武家屋敷・篠山城


(その1)【JR篠山口駅】→島姫神社
歩兵第七十連隊跡→新宮古墳
誓願寺
武家屋敷群→篠山城

(その2)→春日神社→まけきらい稲
荷神社→
【本篠山バス停】


2015年05月14日 晴れ 28,437歩



島姫神社

弁財天(市杵島姫命)が祀られて
いる、篠山口駅より200mほどの
所に鎮座



岩場の小さな祠



篠山川を渡り篠山城跡へ
約5km程か





1kmほど続く直線道路を行く、遠
くに見える端正な山は八百里山(
やおりやま)標高441m




篠山川に架かる渡瀬橋を渡る


渡瀬橋親柱の猪
猪がお出迎え、篠山といえば猪を使
った「ぼたん鍋」が知られている



篠山川(渡瀬橋にて)






篠山川の支流 藤岡川沿いを進む



歩兵第七十連隊跡

大日本帝国陸軍の連隊の一つで裏
山「盃ケ岳を演習場とした過酷
な訓練で「丹波の鬼」と呼ばれた



連隊入口の門柱


歩兵第七十連隊跡」碑
篠山名物の「ぼたん鍋」は連隊
の訓練で捕獲した猪を味噌汁
に入れて食べたのが始め



第31航空通信聯隊・陸軍特
別幹部候補生修練の地」碑







新宮古墳

鳥居背後の森が新宮古墳で右手
前は陪塚(ばいちょう)碁石塚



直径52.5mの円墳、千数百
年前の豪族の墓とのこと



新宮神社


新宮古墳の墳頂部


陪塚の碁石塚






誓願寺
 
山門(楼門)と寺号標石
山門は釘を使わない組合せ工法



山門扁額と木鼻


本堂
天正年間(1573〜1592年)覚山天誉
※を開山とし八上城主 波多野秀治
により創建
※:室町幕府13代将軍足利義輝の子



観音堂


「知新館跡」碑
明治 6年(1873年)誓願寺において
篠山で初めての小学校「知新館」が
開校、現在の篠山小学校の前身




お徒士町通り
武家屋敷群


慶長14年(1609年)篠山城の築
城に際し形成された武家屋敷跡



手前の屋敷はまだ茅葺屋根
が葺き替えられて新しい






現地説明板











武家屋敷安間家資料館




伝統的建造物に多いL字型
の曲がり家となっている



室内


屋根裏


竈(かまど)


内裏雛 ・ 稲畑人魚 天神


湯たんぽ、足温器(左)


旗指物図


旗指物図


庭園


水琴窟


井戸


土蔵



小林家長屋門

篠山城西堀に脇に建つ茅
葺屋根の武家屋敷長屋門



長屋門入口



浦名薬局




「浦名薬局」の古い看板


店頭に展示された化学実験器具



篠山城外堀




篠山城 土塁の南馬出




篠山城跡

石垣と内堀
慶長14年(1609年)の
築城、輪郭式平山城



松平康重が丹波国八上城入城の
際に山陰道の要衝として篠山城
を築いた



石垣に刻まれた符号・刻印
石垣の築造を担当した大名や石
工集団の符号・刻印が刻まれた





















桝形


埋門(うずみもん)跡
埋門辺りに符号・刻印が多くある


城内から見る埋門
非常時には埋めて通行止にできる



大書院
平成12年(2000年)に再建



大書院


二の丸御殿庭園の井戸


青山神社
篠山城主 青山家ゆかりの神社



青山神社 社殿


天守台
天守台はあるが天守閣
は建造されなかった



天守台上部
中央遠くには丹波富士と呼ばれ
る高城山(八上城跡)が望める



天守台から見下ろす石垣と堀


大書院 上段の間


帳台構


板襖(牡丹図)


篠山城ジオラマ



元篠山藩地方役所門




後半は“篠山(その2)に続く




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