淀水路・東寺

淀水路の河津桜

【阪急 西山天王山駅】→常念寺
→妙教寺→與杼神社→稲葉神社
→淀城跡→涼森神社→淀水路→
長円寺→
【京阪 淀駅】==【京阪
東福寺駅】
→東寺→【東寺東門
前バス停】

2015年03月20日 晴れ 25,582歩



阪急 西山天王山駅




常念寺

山門
かつては 桂川右岸の堤防上に
あり度々水害にを受けていたが
平成22年(2010年)に現在の
地に移された



本堂
本尊は阿弥陀如来立像



観音堂
十一面観音は淀君の守
り観音として知られる



ツバキの花と本堂


ツバキの花と山門





桂川のカラシナ(芥子菜)







カラシナとツクシ(土筆)



唐人雁木旧跡
 
ここ伏見区納所(のうそ)は淀
川と京都を結ぶ交通の要衝で朝
鮮通信使が12回にわたり上陸し
た船着場があるとのこと。船着
場の階段が雁の飛ぶ行列に似
ていたためこの名が付いた




妙教寺
 
山門
開山 宝泉院日孝、大阪の法華又
左衛門貞清の創建、豊臣秀吉が
築いた旧淀城跡にある



本堂と鐘楼
鳥羽伏見の戦いで被災、境内には
戦死した幕府方兵士の碑が立つ



「戊辰之役東軍戦死者之碑」


境内に咲くサンシュユ


境内に咲くツバキ


サンシュユ ・ ツバキ



納所(のうそ)村道路元標
 
大正9年(1920年)施行の旧道路法
に基づき設置されたものとのこと




桂川

このすぐ下流で宇治川・木
津川と合流し淀川となる




東南 淀川渡場
(みち)道標
 
左側面には「十一面観世音菩
薩像 安養寺」と刻まれている




與杼神社(よどじんじゃ)
 
石鳥居


参道と大イチョウ


舞殿


拝殿(重文)


高灯籠
江戸初期の豪商大坂淀
屋により寄進された



淀屋初代の岡本与三郎(淀屋常
安)はこの辺り淀の岡本荘の出
身と伝えられる



大坂淀屋と刻まれた台座



稲葉神社

鳥居と拝殿
祭神の稲葉正成は淀藩稲葉家の祖



本殿



淀城跡公園(淀城址)

元和9年(1623年)に京都警護
のために徳川2代将軍 秀忠によ
り築城



左から「淀城之故址」・「淀小橋旧
跡 従西南大坂至」・「永代常夜燈
」・「唐人雁木旧跡」の標石



天守台石垣


天守台石垣と内堀


天守台石垣正面


本丸石垣と内堀



伊勢向神社
(いせむこうじんじゃ)


入口鳥居
伊勢とは五十瀬のことで水神様を
祀っている。淀川の改修工事のた
め宇治川の中島から移された



社殿



淀美豆町の古い町並




左手前は味噌・醤油醸造所



浜納屋
(淀美豆町:よどみずちょう)


慶応4年(1868年)までは前に木津
川が流れており納屋(蔵)が並んで
いたといわれる、川に面した入口
に石段を設け船に荷物の積み下ろ
しをしていた




涼森神社(すずしのもりじんじゃ)

鳥居
戦国時代にはこの地に「
美豆城」が築かれていた



拝殿


本殿


手水舎


「石清水八幡宮神領
守護不入之所」標石







淀水路の河津桜

淀水路には地元の人達によって
植えられた200本の河津桜が満
開を迎えている、この桜は伊豆
河津町から取り寄せられたとの
こと






























木津釈迦堂







長円寺
 
山門
ここにも「戊辰之役東軍戦死者
之碑」が建つ、榎本武揚の揮毫



本堂
鳥羽伏見の戦いでは幕府
軍の野戦病院となった



観音堂


閻魔堂


閻魔堂 閻魔大王
左右は俱生神



閻魔大王頭部


戊辰役東軍供養塔



京阪 淀駅




京阪電車で【淀駅】から
【東福寺駅】に移動




東寺

南大門と五重塔


大日堂と河津桜





河津桜


五重塔




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