伊丹
緑ヶ丘公園の梅
緑ヶ丘公園→鴻臚館→肘岡天満宮
→辻の碑→和泉式部の墓→西皇
大神社(茶碗樋)→妙宣寺(竹塚)
→伊丹廃寺跡→慈眼寺→鴻池稲
荷祠碑→昆陽池
2015年03月05日 曇り
緑ヶ丘公園 梅林
緑ヶ丘公園 上池
残念ながらこの後 ウメ輪紋病によ
り伐採され「さくらの丘」となった
緑ヶ丘公園 下池
友好都市である中国佛山市から贈
られた賞月亭(しょうげつてい)
賞月亭(しょうげつてい)
気根(下池)
茎や幹から空中に出ている根
緑ヶ丘神社
鳥居
祠
鴻臚館(こうろかん)
伊丹市の公館として昭和59年(1
985年)に緑ヶ丘公園内に建設
玄関
石組庭園
瓦と銅板の入母屋造りの数寄屋風
水琴窟
臂岡天満宮
一の鳥居
延喜年間(901年〜923年)の創建
「いもじの天神」と呼ばれこの地
の金物の職人集団「鋳物師(いも
じ)」に由来するとのこと。菅原
道真が太宰府へ左遷の途中に
立ち寄りあられ茶を飲み肱を枕
に休んだという
境内前鳥居
拝殿
本殿
拝殿前の白梅
境内入口の紅梅
拝殿前の臥牛が祀られた社
臥牛石像
辻の碑(いしぶみ)
ここは西国街道と多田街道が交差
する辻で旧摂津国の中央に位置し
ていた。右は「従是多田御社江 一
里半」の道標、元禄14年(1701年
)の建立(北伊丹1丁目89)
左:「八坂神社跡地」碑
中央:辻の碑(いしぶみ)
「八坂神社跡地」の碑(左)
自然石に刻まれた辻の碑(右)
上部に「従東寺拾里」の文字が残る
※:東寺より40km
水車小屋
辻の碑から多田街道を少し下がっ
た処にある再現された水車小屋
和泉式部の墓
平安時代の歌人 和泉式部の墓と
伝えられる (春日丘6丁目地内)
元は五輪塔であったが 現在は上か
ら五輪塔の宝珠(空輪)・請花(風
輪)・塔身(水輪)のみ積まれてい
る。伊丹関連の和泉式部の歌
津の国の こや※とも人を
いふへきに ひまこそなけれ
芦の八重葦
※:こや(昆陽)
現地説明板
西皇大神社
茶碗樋(ちゃわんび)の石組
荻野・鴻池村の農業用水の水争い
での樋(とい)を引き茶碗大きさの
穴から漏れ出る以外の水はすべて
瑞ヶ池に取り入れることで決着した
この穴が茶碗の大きさの流出口
十二重石塔?
石塔の1層目
妙宣寺
山門
左:「大覚大僧正杖竹古跡」
右:「右 後醍醐帝皇子恒性
法親王杖竹之霊地 妙宣寺」
本堂と鐘楼
竹塚
西国巡化の途中ここ大鹿村に立ち
寄った大覚大僧正が村民教化を終
え帰る際に紫竹(しちく)の杖を地
面に刺すとやがて紫竹が群生した
竹塚碑 天宝六年乙未初夏の銘
小堂内の石造物
伊丹廃寺跡
奈良時代前期の寺院跡、法
隆寺と同じ規模と伽藍配置
(緑ヶ丘4・5・7丁目)
現地説明板
塔跡(手前)、金堂跡(右奥)
金堂跡(手前)、塔跡(奥)
金堂跡の礎石
鴻池神社
境内入口鳥居
建立の沿革は定かではないが
17世紀初頭の建立とのこと
拝殿
本殿 ・ 絵馬
慈眼寺
山門(鴻池6-19-59)
本堂
本尊は木造釈迦如来坐像(重文)
観音堂
観音堂 扁額 ・ フクジュソウ
石組庭園
鴻池稲荷祠碑(いなりしひ)
左:稲荷祠碑 右:稲荷大神
手前:屋敷跡の礎石
礎石
稲荷大神
稲荷祠碑(いなりしひ)
この公園は江戸時代の豪商(酒造
業)鴻池家の発祥の地で鴻池家の
由来を記した碑が立てられている
鴻池家の初代 幸元は山中鹿之助
の子孫といわれる
碑は亀形の台石の上に立つ
上部に刻まれた「稲荷祠碑」の文字
素戔嗚神社
境内入口鳥居
拝殿
拝殿 扁額
本殿
昆陽池(こやいけ)
対岸の島には黒い鳥(鵜)が群
れている、右奥は伊丹市昆虫館
昆陽池は奈良時代に僧 行基によ
り築造された灌漑用溜池、現在
はその一部が残されている