(淀川区)

佃煮発祥の地

【阪急 神崎川駅】→香具波志神社
→富光寺田蓑神社→光明寺→
主教会神津神社→新木川
温泉→
【阪急 南方駅】

2015年02月27日 晴れ 25,340歩



神崎川










香具波志神社
(かぐはしじんじゃ)

 
朱色の大鳥居
天徳3年(959年)に女神である倉
稲魂神・保食神を祀ったのが始め



神門


拝殿


絵馬

 
上田秋成先生墓
上田秋成 (あきなり)は江戸時代
後期の読本作家、怪異小説「雨月
物語」の作者


 
香文館(左)と「上田秋成寓居
碑加島鋳銭所 」碑(右)




毛斯倫大橋
(もすりんおおはし)

鹿嶋
橋の名前の由来は大正末期の初代
の橋が毛斯倫紡織(株)の本社と
工場を結ぶ私設橋であったことに
よる。毛斯倫:羊毛を用いた織物






富光寺(ふっこうじ)

山門
楠木正儀が佐々木秀詮との戦いで
本陣を置き戦勝祈願したとされる



本堂
天竺の僧 法道仙人による創建、大
化5年(649年)には孝徳天皇の病
気平癒を祈願した



地蔵堂
楠木正儀ゆかりの「熱
切不動明王」を祀る



本堂前に咲く白梅


紅梅


白梅


新旧の地蔵菩薩石仏が並ぶ(左)





「摂州八十八箇所 富光寺」碑



神崎大橋左岸防波鉄扉

緊急時には右に移動し
閉じられるようである




田蓑神社(たみのじんじゃ)
 
境内入口


永正8年(1511年)に建てられた鳥
居、鳥居前には玉ノ井部屋の巡業
中で“のぼりが立つ、宿舎として
使用しているとのこと



拝殿
祭神として住吉三神(底筒之男命・
中筒之男命・表筒之男命)と神宮皇
后が祀られている



拝殿扁額


本殿

 
「佃漁民ゆかりの地」碑(左)
紀貫之歌碑(右)

雨により 田蓑の嶋を    
けふゆけど なにはかくれぬ
     ものにぞありける

            紀貫之



謡曲「芦刈」の碑
かつて佃周辺には 芦が群生していた
ことから謡曲「芦刈」の舞台となった



東照宮(境内摂社)

佃漁民と徳川家康の関わりからここ
に祀られている、家康が上洛の際
神崎川
に渡し舟を出し家康一行を運
び、また大坂の陣では軍船・魚など
を調達した。これを縁に佃の漁民は
江戸に上り移住しそこを佃島(現在
の東京都中央区佃)と名付けた、大
佃村で作っていた小魚・貝などの
煮付けを江戸でも作り“佃煮として
売り出したとされる




光明寺

山門嘉吉2年(1442年)に武内宿禰
の子孫 兵部卿 紀貞之によって創建
一休和尚自筆の「松庵」一軸と愛用
の鳩杖が現存している



本堂


紀貫之歌碑
紀貫之紀貞之と同じ
武内宿禰の子孫である


ふる雪に 木々の梢を
 ながむれば     
  しろたえなれや  
   みてくらのしま 

         紀貫之




境内の古い石塔



住吉神社跡
 
明治42年(1909年)に香具波志神社
に合祀されるまでこの地に鎮座した




聖贖主教会
博愛社 礼拝堂
(せいあがないぬしきょうかい)


昭和11年(1936年)竣工
設計はW.M.ヴォーリズ









2階礼拝堂の円形ステンドグラス部


2階礼拝堂内の円形ステンドグラス




 



2階礼拝堂とステンドグラス


礼拝堂と後ろの円形ステンドグラス


礼拝堂の照明(右)


2階礼拝堂への階段


礼拝堂の窓



神津神社(かみつじんじゃ)

石鳥居
明治42年(1909年)神津村の村々
の氏神を合祀した神社で、社号
神津
は神崎川のと中津川(
新淀川)の「津からとったという



拝殿


境内摂社 十三戎(とみえびす)


絵馬


吉向窯(きっこうやき)

伊予大洲藩の戸田治兵衛が大阪十
三村に築いた陶器の窯で、大阪唯
一の窯であったとのこと



吉向窯
神津神社境内にある




新木川温泉
(しんきかわおんせん)


昭和3年(1928年)にできたレトロな
銭湯、当初は木川の田圃の中であっ
たため「たんぼ湯」として親しまれた
とのこと



温泉入口


入口の屋号看板
「新木川温泉



「SHIN KIGAWAONSEN
看板の「
K」とN」が抜け落ちている



入口の庇







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