手塚山

近代建築

【JR 杉本町駅】→大阪市立大学→
あびこ観音→生根神社→帝塚山古墳
【JR 天王寺駅】

2015年01月24日 晴れ 29,686歩



JR 杉本町駅




大阪市立大学

正門 (大阪市住吉区杉本町)


1号館(旧大阪商科大学部校舎)


1号館、昭和9年(1934年)竣工


1号館 時計台


1号館 玄関


玄関灯 ・ 「登録有形文化財」プレート


1号館 時計台の裏側





各階には半円形のベランダが突き出している



大聖観音寺
(あびこ観音)

 
山門(西門)
門前の寺号標石には「吾彦(あびこ)観音寺」と刻まれている、この地の豪族 依網吾彦(よさみのあびこ)に由来する(大阪市住吉区我孫子)



日本最古の観音菩薩を祀る寺院とされ、欽明天皇7年(546年)の創建その後 聖徳太子の開基により建てられた。聖徳太子創建の四天王寺より47年古い寺院とされている。大阪夏の陣では真田幸村に追われた徳川家康はこの寺に逃げ込み本堂須弥壇に隠れ難を逃れたといわれる


境内の仏像群





金辰殿


金辰殿 扁額


大楠
室町時代の中期(1300年代)から幾多の戦火を免れてきた大楠



大楠の幹



止止呂支比売命神社
(とどろきひめのみこと

 
「若松神社」と呼ばれるが創建等は不詳


鳥居と拝殿正面


拝殿 扁額



住吉行宮跡
(すみよしあんぐうあと)

 
南北朝時代に南朝の行宮(天皇の仮御所)跡の伝承地、後村上天皇・長天皇慶の時に行宮となった


住吉行宮跡地「後村上天皇 住吉行宮正印殿址」の碑(左)。行宮は住吉神社 津守氏居館「正印殿」の一部で、明治天皇の住吉神社行幸で休憩されたとのこと



阪堺電車










阪堺電車 住吉駅







生根神社

鳥居


神門


拝殿


本殿


本殿脇の「神明穴立石」
この石は「何首鳥」と薬草名が刻まれた霊石


 
「神明穴立石」


境内のモチノキ
幹回り:2.4m 樹高:12.5m



絵馬



万代池




帝塚山郵便局

(大阪市住吉区帝塚山東)





レンガは「イギリス積み※」
で積まれている
※:レンガの長辺を手前にし並べ次の段は短辺を手前にし並べこれを交互に積んでいく









帝塚山古墳

4世紀末から5世紀初頭にかけて造営された前方後円墳、全長88m(造営当初は120mあった)・高さ9m


「古墳」と刻まれた石碑



旧阪堺電気軌道 第二変電所
(南海 玉出変電所)


明治44年(1911年)竣工(大阪市西成区玉出東)





窓はコンクリートで閉じられている


先の帝塚山郵便局と同様にレンガは「イギリス積み※」で積まれている
※:レンガの長辺を手前にし並べ次の段は短辺を手前にし並べこれを交互に積んでいく









北畠顕家の墓
(きたばたけ あきいえ)


北畠親房(ちかふさ)の長男、鎮守府将軍となり足利尊氏を九州に敗走させた、阿倍野での高師直軍との戦いにおいて摂津国石津(堺市石津町)で20歳の若さで戦死した


墓石
墓石は享保18年(1733年)に建てられた


 
右:墓石に刻まれた北畠顕家の長い肩書


「顕家卿阿倍野合戦之図」
【現地説明板から】
(大阪市阿倍野区王子町)




「サッちゃん」詩碑

南大阪教会の付属幼稚園の園児「さちこ」さんをモデルにして、昭和34年(1959年)に詩人 阪田寛夫(作曲 大中恩)により作られた。詩碑の後ろには南大阪教会の塔が見える


“サッちゃんはね サチコて 
いうんだ ほんとはね・・・”




南大阪教会

教会の礼拝堂と塔は村野藤吾の設計で昭和3年(1928年)竣工、礼拝堂の方は傷みが激しく昭和56年(1981年)に同じ村野藤吾の設計によって建て替えられている


教会塔 昭和3年(1928年)竣工


塔の窓


教会入口


礼拝堂入口

 
塔の入口(左)



大阪市立工芸
高等学校本館


大正13年(1924年)竣工、ヴァン・デ・ヴェルデの設計「ドイツ・ワイマール工芸学校」を参考にヴァン・デ・ヴェルデによる設計 (大阪市阿倍野区文ノ里)


アーチ型玄関

 
門燈 ・ 玄関の装飾


玄関扉


屋根上の時計台


上:「近代化産業遺産」平成20年度指定 経済産業省。下:「大阪市指定有形文化財 建造物」平成12年度指定


重厚でロマンあふれる「アールヌーボー(新しい芸術)」様式の建築となっている











あべのハルカス

平成26年(2014年)竣工、60階・300m(日本で最も高いビルディング)




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