明日香(桜井)

小山田遺跡説明会

【近鉄 桜井駅】→茶臼山古墳→生
根神社→舒明天皇陵→鏡女王墓→
大伴皇女陵→秋殿古墳→山田寺跡
→東大谷日女神社→飛鳥坐神社
→小山田遺跡→
【近鉄 岡寺駅】

2015年01月18日 晴れ 32,411歩



近鉄 桜井駅




桜井の古い町並

山本五平薬局と土蔵


山本五平薬局正面


山本五平薬局の看板


鐘馗さんのある町家


虫籠窓と鐘馗さん


鐘馗さん


防火水槽のある町家


「用水」防火水槽



路傍の地蔵尊

路傍の地蔵尊





桜井 茶臼山古墳

全長:207m、高さ:21mで前方部の幅が狭い柄鏡型の前方後円墳。古墳時代前期(4世紀前半)のもので被葬者は大和政権初期の大王墓ともいわれる


古墳上部



虫籠窓の町家




忍坂坐生根神社
(おつさかにいますいくねじんじゃ)


創建は不詳であるが天平2年(730年)の「大和国正税帳」に「生根神戸」の記載があることからそれ以前と見られる。祭神は少彦名命(奈良県桜井市忍坂)


社殿と狛犬


左側の狛犬は珍しい子持ちの狛犬となっている



虫籠窓の町家

虫籠窓の町家


格子と虫籠窓



玉津島明神




玉津島明神の祠



御陵への道




舒明天皇押阪内陵
(段ノ塚古墳)


第34代天皇、推古天皇元年(593年)〜舒明天皇13年(641年)

 
外鎌山の尾根に沿って築かれた「上二段八角下三段方墳」で我が国初の八角墳



鏡女王 万葉歌碑
(かがみのひめみこ)


中大兄皇子(天智天皇)が鏡王女に送った歌

“秋山の樹の下隠り 逝く水の
吾こそ益さめ 御念ひよりは”

御念:みおも



鏡女王忍阪墓
(かがみのひめみこ)


鏡女王は近江国野洲郡鏡里 鏡王の娘で額田王の姉にあたる、後に藤原鎌足の正室となる

 
「鏡女王忍阪墓」碑(右)



大伴皇女 押阪内陵
(おおとものひめみこ)


大伴皇女は欽明天皇と堅塩姫(きたしひめ 曽我稲目の娘)の皇女で、推古天皇・用明天皇とは兄弟で聖徳太子の叔母にあたる

 
「大伴皇女 押阪内陵」碑(右)



神籠石(じんごいし)

地元では「ちご石」と呼ばれ、神武東征の際に盾とした大石と伝えられ現在も盾の奥(たつのおく)の地名が残る



石位寺(いしいでら)

本尊 薬師三尊石仏は我が国最古の石像三尊仏で重文に指定されている


石位寺境内の石造物(1)


石位寺境内の石造物(2)



庚申堂

小堂と石仏群


小堂内の青面金剛石仏(江戸中期)と地蔵石仏(15世紀)











くらはし溜池

粟原川(おおばらがわ)の支流を堰き止めて造られた奈良県最大の溜池で、堤防には「くらはし」と描かれている



地蔵石仏

道路わきに立つ2体の地蔵尊



オート三輪

マツダのオート三輪(赤・青)が2台並ぶ。マツダ(東洋工業)は昭和49年(1974)にオート三輪事業から撤退している。かつては小回りが利くことで重宝された







秋殿南古墳

鳥見山南麓に造られた一辺24m、高さ5mの方墳、古墳時代末期7世紀前半頃の築造とされる(奈良県桜井市浅古)


羨道入口


羨道、奥に玄室が見える


玄室


玄室から外を見る







地蔵石仏




法栄寺




本堂



六龍稲荷不動大社




六眼不動明王



山田寺跡

左(北)から 講堂・金堂・塔・中門が建ち、廻廊が金堂・塔を囲む伽藍配置となっている
蘇我倉山田石川麻呂により舒明天皇13年(641年)に創建。石川麻呂は蘇我入鹿のいとこであるが敵の天智天皇側につき蘇我氏を滅ぼした



金堂跡(右)・塔跡(左)・東面廻廊跡(中央手前)


金堂跡


金堂前の礼拝石(復元)


廻廊跡(左手前)・塔跡(右奥)


東面廻廊跡


講堂跡


山田寺跡の観音堂



東大谷日女神社
(やまとおおたにひめみこと)

鳥居と石段


社殿


境内の石造燈籠(重文)
四角型の燈籠で高さ2.28m、永和元年(1375年)石大工薩摩権守行長の作



弘計皇子神社(おけのみこ)

鳥居と拝殿
第23代顕宗(けんぞう)天皇が祀られている



本殿


本殿







飛鳥坐神社
(あすかにいます)

 
鳥居と「飛鳥座神社」社号標
2001年に吉野大滝ダム建設に伴い丹生川上神社から本殿と拝殿が移築された、奇祭「おんだ祭」で知られる



拝殿


境内社


神楽殿と西良殿



飛鳥の古い町並




虫籠窓








小山田遺跡(こやまだいせき)
現地説明会


石舞台古墳を上回る巨大古墳と話題になった、被葬者は舒明天皇が最初に葬られた陵、または蘇我蝦夷が築いた墓ともいわれる

















現地説明会の様子


小山田遺跡の掘割 【説明会資料】


【説明会資料】



菖蒲池古墳

玄室の石棺
小山田古墳の西に200m程の所にある。玄室の奥にはもう一つ石棺が置かれており、蘇我蝦夷・入鹿の双墓といわれる。いずれにしても先に訪ねた小山田古墳は築造後すぐに廃絶となっている




近鉄 岡寺駅





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