信楽

信楽焼の里

【信楽駅】→新宮神社→明山窯→
陶器神社→玉桂寺→
【玉桂寺前駅】
===【雲井駅】→紫香楽宮跡→飯道
神社→
【紫香楽宮跡駅】

2014年12月27日 晴れ 36,098歩



貴生川駅
(きぶかわえき)


JR草津線(右)と信楽高原線(左)
貴生川駅はJR西日本 草津線・信楽高原鉄道(SKR)信楽高原線・近江鉄道 本線の3路線が乗り入れている



信楽高原線 信楽行気動車(SKR312号車)ワンマンカーに乗車




前方の車窓にて





信楽高原鉄道
信楽駅


信楽駅のホームにて 気動車(SKR205号車)


信楽駅々舎


駅前の信楽焼 巨大タヌキ(高さ5.3m)
クリスマスも過ぎたがサンタの衣装姿のままである。春にはセーラー服、夏には浴衣姿とのこと



大小さまざまなタヌキが出迎えてくれる



旭橋

橋の歩道脇には信楽焼の陶器で装飾されている、橋の下では大戸川に信楽川が合流している


信楽焼 陶器の装飾
左:登り窯 ・ 右:保良の宮橋





公衆トイレも信楽焼のタイルが使用されている



信楽焼 陶器店

近辺には信楽焼 陶器店が軒を連ねる


大小色とりどりのタヌキが並ぶ



信楽伝統産業会館

ここも外壁には信楽焼のタイルが使用されている



新宮神社

鳥居
奈良時代 霊亀元年(715年)の創建、「新宮大権現」と呼ばれた


狛犬も信楽焼


拝殿(左)と本殿(右奥)


本殿
現在の本殿は寛文3年(1663年)に再建されたものとのこと




信楽焼 明山窯

信楽焼の登り窯「明山窯」をギャラリーとしてオープンした カフェ「Ogama」


登り窯最下段の燃焼室にある焚口(大口)


窯の内部、信楽焼の壷や花瓶が並ぶ


登り窯内の「狭間穴(さまあな)
下段の窯からこの狭間穴を通って炎が登ってくる



左側下段の窯から登ってきた炎は更に左奥の穴(小口)から投げ込まれた薪で燃やされ炎は右の「狭間穴(さまあな)」を抜け上段の窯に登ってゆく


電気窯?


登り窯の向いにあるカフェ「Ogama」
江戸時代から続く信楽焼窯元「明山窯」の直営店とのこと


左:轆轤(ろくろ)の金型や整形機等
右:窯道具「立匣鉢(たちざや)・継匣鉢(つぎざや)」
窯詰めする時に焼成する製品の台
にしたり、積み上げる時に使用する




「KAMAZUME」の路面の装飾(左)
「窯元散歩道 至陶美通り ・ 至二本丸町」道標
(右)




炎舞窯




登り窯の煙突


窯道具(左)



信楽焼窯跡群

丸文窯
六古窯の一つである信楽焼は鎌倉時代に常滑焼(愛知県)の影響を受け生産を始めたとされる



丸文窯 正面



甲賀警察署
信楽警部交番





信楽交番前の信楽焼看板
「Police Headquarters for the Shigaraki Area」




陶器神社・愛宕神社

参道入口鳥居


鳥居 扁額「陶器神社」
よく見ると鳥居も信楽焼で造られているようである



参道途中に鎮座する稲荷神社


参道石段(愛宕山頂への道)


石段に用いられている窯道具「立匣鉢・継匣鉢」


境内入口鳥居


陶器神社 ・ 愛宕神社 境内


信楽焼の狛犬


本殿


本殿 扁額


本殿 燈籠も信楽焼である


境内に置かれた信楽焼のタヌキ


境内から望む信楽の里



炎の美通り

信楽焼の遊歩道と円筒のモニュメント



信楽高原線
気動車(SKR312号車)








玉桂寺
(ぎょくけいじ)


山門
淳仁天皇が平城京造営中の仮御所として造られた「保良宮」の跡地に空海によって創建された。“信楽の弘法さん”として信仰を集めている



阿弥陀堂


本堂


本堂前の信楽焼の燈籠


鐘楼


観音像群


水子供養の風車を持つ地蔵菩薩群と不動明王(右上)


一願成就大不動明王像(高さ13m)


高野槙の群生(左側)
実際は左右に一株づつ植えられたとのここと、現在は全部で22株に増えているとのこと(樹齢500〜600年)



高野槙の群生(右側)



保良の宮橋

玉桂寺前駅と玉桂寺を結ぶ吊り橋


大戸川と鉄道(信楽高原鉄道)の両方に架かる珍しい吊り橋、全長102m


吊り橋から見下ろす信楽高原鉄道 玉桂寺前駅



信楽高原鉄道で 【玉桂寺前駅】
から【雲井駅】に移動




信楽高原鉄道
雲井駅





雲井駅々舎



紫香楽宮跡
(甲賀寺跡)


中門跡
天平14年(742年)に聖武天皇によりここ信楽の地に離宮「紫香楽宮(しがらきのみや)」の造営を開始、翌年には「大仏建立の詔」を発布した。信楽での大仏建立は順調に進められたが天平17年の紫香楽宮廃都により中断し後に奈良東大寺において大仏が建立された。この遺跡は大正15年(1926年)に「紫香楽宮跡」と指定されたが、その後の調査で宮殿跡ではなく寺院跡であることが判明し「甲賀寺跡」と推定されている【現地説明板参考】


現地説明板


金堂跡


講堂跡


僧坊跡


紫香楽宮





新宮神社




新宮神社 祠



紫香楽宮朝堂跡

先に訪ねた紫香楽宮跡(甲賀寺跡)の北へ2km程の所で、平成12年(2000年)に朝堂と見られる建物跡が見つかった。その後の調査で朝堂前殿・門塀・朝堂後殿・内裏などの跡が見つかり、この地が本当の紫香楽宮の跡地と判明した


田圃に立てられた支柱列と道路に引かれた白線は朝堂東脇殿が建っていた跡を示している


現地説明板



飯道神社
(はんどうじんじゃ)


一の鳥居
飯道山上に鎮座し飯道山(標高664m)を御神体とし、かつては「いいみちじんじゃ」と呼ばれていた



参道石段の登り口


参道途中の白髪神社


丸太の参道が続く





金亀水


金亀水


境内入口鳥居


境内展望台から麓の信楽町宮町と馬門川を見下ろす


鏡の大岩


鏡の大岩





行者堂


境内には薄っすらと雪が残る


拝殿


本殿
奈良時代の創建であるが本殿は兵火で焼失、江戸時代 慶安3年(1650年)に再建された。近代までは神宮寺であった飯道寺と共に神仏習合の修験道場として知られた



鮮やかな原色の桃山様式の建築美を有し重文に指定されている


本殿装飾


本殿扁額


本殿装飾


本殿装飾


本殿側面と背後の巨石群


本殿背後の巨石群


巨石群に登り本殿屋根を見る


飯道寺 坊院の石垣





信楽窯跡群
中井出遺跡


室町末期の登り窯で全長16m、幅3m、中央縦方向に分煙壁を有す双胴式穴窯(信楽町宮町中井出)



信楽高原鉄道
紫香楽宮跡駅





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