伏見

伏見稲荷

【京阪 鳥羽街道駅】→田中神社→
阿保親王塚→南明院→東丸神社→
伏見稲荷大社→腹帯地蔵→ぬりこ
べ地蔵→深草北陵→
【JR稲荷駅】

2014年12月10日 晴れ 24,015歩



田中神社
 
赤鳥居 ・ 「稲荷神社境外摂社 田中神社」標石


拝殿
伏見稲荷大社の境外摂社であるが創建は定かではない、社殿には正保2年(1645年)の棟札が残されている



本殿には「田中大神」が祀られている


本殿 蟇股


正保13年(1700年)寄進の手水鉢



阿保親王塚
(あぼしんのうづか)


阿保親王(792年〜842年)は平城天皇の第一皇子で桓武天皇の孫にあたる。弘仁元年(810年)に「薬師の変」に連座し九州太宰府に左遷された。その後罪が許され京に戻りこの地に成願寺を建立したといわれる


阿保親王塚
ただし阿保親王の墓陵は芦屋市打出の「親王塚古墳」に治定されている




光明院 山門

東福寺の塔頭で枯山水の「波心庭」で知られる、今日は山門前を通過。石段脇の遅い紅葉が綺麗である



南明院
(なんめいいん)


山門
光明院と同様に東福寺の塔頭で応永21年(1414年)足利義持が業仲明紹を開山として創建。天正8年(1590年)に没した徳川家康の正室 旭姫
の菩提寺であり境内には旭姫の墓が残されている
:豊臣秀吉の妹で徳川家康に嫁ぐ


 
左:「徳川家康公正室旭姫墓 在院」
右:「凌雲山 南明禅院」の標石



趣のある石畳の参道


本堂


旭姫の墓(1)


旭姫の墓(2)



丹嘉(たんか)

伏見人形窯元「丹嘉」
寛永年間(1750年頃)創業


 
伏見人形


伏見人形



神具店

この界隈は神具店が多数軒を並べる





スズメの丸焼き

伏見稲荷大社裏参道(神幸道)
スズメの丸焼きが売られているが、かつて伏見稲荷は五穀豊穣の神として信仰を集めていた、その五穀を食べるスズメを退治することから始まったといわれる



スズメの丸焼き?
実はウズラの丸焼きも売られているとのこと




東丸神社
(あづままろじんじゃ)

 
鳥居と「東丸神社」標石
江戸中期の国学者で伏見稲荷社家に生まれた「荷田春満(かだのあづままろ)」を祀る、学問向上・受験合格の神として信仰を集めている



社殿明治16年(1883年)の創建


絵馬と千羽鶴
試験合格を祈願して奉納されている




伏見稲荷大社

大鳥居


楼門


楼門前の狛狐


楼門と拝殿


内拝殿


本殿 唐破風の彫刻


本殿(重文)


権殿(重文)


奥宮


神馬舎


神馬の足元には多くの名刺が投げ入れられている


千本鳥居(1)


千本鳥居(2)


白狐(びゃっこ)の絵馬
狐は穀物の天敵であるネズミを食べてくれるため五穀豊穣の神の使いと考えられている



おもかる石
願い事をし燈籠の上の石を持ち上げ思ったより軽ければ願いが叶い、重ければ難しい



おもかる石(燈籠の上の石)


鳥居列
大きさ・年代ともに様々である


 
伏見神寶神社(1)


伏見神寶神社(2)


伏見神寶神社(3)


おもかる石


叶雛(かなえびな)


奉納された叶雛


鳥居列





熊鷹社(1)


熊鷹社(2)扁額


熊鷹社(3)祭壇


休憩所 京屋(1)


休憩所 京屋(2)


休憩所付近から望む京都市街地
遠く右奥には特徴のある愛宕山を望む



突然 飛行船が現れる


「メットライフ生命」の飛行船のようである


眼力社(1)
目利き力を上げるご利益があるとのこと



眼力社(2) 狛狐


薬力社(1)
健康長寿にご利益があり、草履が沢山奉納されている



薬力社(2)
扁額と奉納された草履






おせき社参道石段
病気平癒にご利益がある



古い鳥居が焼却されている


一ノ峰上社
末広大神が祀られ、ここまで来れば稲荷山々頂までわずかである



稲荷山々頂(標高233m)


鳥居列を下る


中之社(1)


中之社(2) 社殿


間ノ峰


下ノ社(1)


下ノ社(2)猫2匹いい感じでこちらを向いている


鳥居列が続く











大鳥居と楼門そして背後には稲荷山
現在午後2時過ぎ昼前に鳥居をくぐり稲荷山に登り戻るまで約2時間30分かかりました




摂取院 腹帯地蔵
 
地蔵堂 ・ 「腹帯地蔵尊」の標石


腹帯地蔵
半丈六(像高2.5m)で平安時代末期の作で「腹帯地蔵」として信仰されている



地蔵堂の前の小さな祠には化粧がされたお地蔵様が居られます



ぬりこべ地蔵
 
地蔵堂 ・ 「ぬりこべ地蔵」の標石
“ぬりこべ”の名前の由来は@かつては土で塗りこまれたお堂に安置されていた A病気を塗りこめる、などからきているとのことで歯痛封じにご利益があるとされる



ぬりこべ地蔵
高さ1m程の石仏



ぬりこべ地蔵脇の石仏



深草北陵

「深草十二帝陵」とも呼ばれ、第89代後深草天皇から第107代後陽成天皇の内の12帝が葬られている





遥拝所



虫籠窓の町家

右奥は「龍谷大学 深草町家キャンバス」



龍谷大学
深草町家キャンバス


文久元年(1861年)の建築(京都市伏見区深草直違橋)


「京都市 景観重要建造物」の標識



カトリック伏見教会

昭和26(1951年)年竣工





聖母女学院本館

旧陸軍第16師団司令部として明治41年(1908年)に竣工








深草弥生遺跡碑

弥生式中期時代(約2000年前)の人々の生活を示す鍬・鋤・石斧・壷・甕(かめ)などの多くの遺物が発掘された


「深草弥生遺跡」碑(京都市伏見区深草西浦町)



師団橋
 
昭和49年(1974年)架設


師団橋から見る琵琶湖疎水



JR稲荷駅




JR稲荷駅 旧ランプ小屋
大正10年に現在の東海道本線の膳所〜京都間が開通するまで旧東海道本線は膳所(旧 馬場)-大谷-山科-稲荷-京都のルートで運行していた。このランプ小屋は国鉄最古の建物とのこと



駅のホーム側から見たランプ小屋
鉄道の保線用ランプや燃料を保管していた耐火性の小屋、「ランプ庫」・「危険品庫」とも呼ばれ且つての国鉄の主要駅には存在していた



レンガはイギリス積みで積まれている
:レンガの長辺方向と短辺方向を交互に積み上げる方法





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