六甲(記念碑台)

近代建築

【阪急 六甲駅】→油コブシ→六甲山
上駅→六甲山荘→六甲山ホテル→
油コブシ→
【阪急 六甲駅】

2014年10月19日 晴れ 30,616歩



大土神社・油コブシを経て
ケーブル六甲山上駅へ




阪急 六甲駅




阪急六甲駅 変電所

大正9年(1920年)の阪急神戸線(十三〜上筒井)の開通当初からの建物と考えられる。右側にコンクリートで増築されているが現在も使用されている


建物裏側



石仏・石塔

六甲ケーブル下駅への道にて








大土神社
(おおつちじんじゃ)


鳥居
寛延元年(1748年)の創建、六甲川の流れるこの地は創建以前より六甲川を利用し水車で菜種油(灯油)を搾る“水車の郷”であった。搾られた油は新在家の浜から江戸に船積みされたという



拝殿(登録有形文化財)


本殿



六甲ケーブル下駅

六甲ケーブル下駅、現在の駅舎は二代目



高羽道を登る










高羽道標識



ここで高羽道から分れ油コブシへ







油コブシ手前の休憩・展望所


岩湧山(左)と金剛山(右)を望む


油コブシ(標高625m)
灘の菜種油売が山越えで有馬や丹波に油を運ぶ際に険しい上り坂のため“油をこぼした”ことから「油コブシ」と名付けられた



油コブシ 三等三角点





六甲山上の近代建築を巡る



六甲ケーブル
六甲山上駅


昭和7年(1932年)、六甲越有馬鉄道の「六甲山駅」として営業開始、平成16年(2004年)まで六甲有馬ロープウェイの「表六甲駅」が併設されていた、アール・デコ様式の貴重な建物である














玄関柱











六甲山駅裏側と緑色に塗られたホームの覆い屋根の


ホームに停車中のケーブルカー


室内ロビーの入口付近


階段










 
当初の運営会社「六甲摩耶鉄道」のプレートが残されている


現在の運営会社「六甲山観光」


「近代化産業遺産」標識



六甲山荘

入口門扉


六甲山上 記念碑台の北東にあり昭和9年(1934年)ウォーリズ建築事務所の設計により、関西学院大学の小寺敬一の山荘として建てられた。


リビング


籐椅子


暖炉




 



暖炉のランプ


暖炉前の灰皿


リビングの照明


洋室(1)


サイドテーブル


洋室(2)


洋室の照明


洋室(3)


洋室の照明








照明スイッチ


和室


和室の収納式アイロン台?


アイロン台収納時


食堂


食堂天井


食堂扉





扉の把手


厨房


風呂場


手洗い


トイレ


煙突


ピザ窯?


出入り口
右下には「登録有形文化財」・「近代化産業遺産」の標識が付けられている



「登録有形文化財」・「近代化産業遺産」の標識


山荘裏側



記念碑台
標石「101」


標石「101 百一番」(複製)
明治28年(1895年)から六甲開発を進めた英国人の貿易商A・H・グルームが三国池の湖畔に建てた別荘の標石、その複製がグルーム胸像と共にここ記念碑台に建てられた




A・H・グルーム胸像

「アーサー・ヘスケス・グルーム氏之像 1846〜1918」



六甲山ホテル旧館

昭和4年(1929年)に阪神急行鉄道(現在の阪急電鉄)の出資により宝塚ホテルの別館として建設、近代化産業遺産に指定されている


正面玄関


正面玄関扉











旧館 出入口








煙突


六甲山ホテル本館





六甲阪神稲荷大神

赤鳥居






元来た油コブシを下り阪急六甲駅へ




登りと同じ油コブシを下る


六甲ケーブル下駅前を通過


出発地点の阪急六甲駅に戻ってきました




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