尼崎
近代建築
【JR尼崎駅】東洋精機→残念さんの墓→D51→ユニチカ記念館→城内中学校→尼崎警察署→琴ノ浦高等校→阪神電鉄尼崎発電所→開明小学校→尼崎信用組合→尼崎共立銀行→大庄小学校→大庄村役場→【JR立花駅】
2014年09月28日 快晴 28450歩
東洋精機 本館事務所
昭和16年(1941年)竣工、設計は宝塚ホテル・阪急百貨店・六甲山ホテルなども手掛けた古塚正治、登録有形文化財に指定されている 〔尼崎市長洲本通〕
見た目はコンクリート造りに見えるが木造モルタル二階建てコンクリートの地下付き
正面玄関
腰壁にはスクラッチタイルが貼られている
「登録有形文化財」のプレート
正門受付 門衛所
この建物も本館事務所と同時期に建てられたようである
残念さんの墓
長州藩兵 山本文之助の墓
元治元年(1864年)の蛤御門の変のあと長州へ帰る途中ここ大物で捕らえられ留置された会所で自らの命を絶った、まだ29歳であったといわれる。文之助の書置きには「残念で口惜しい、もし口惜しいことがあれば一つだけ願いを叶えてやろう」と書かれていた。噂を聞いた多くの人びとがこの墓に参ったといわれる 〔尼崎市杭瀬南新町〕【現地説明板参考】
蒸気機関車 D51
元大物川を公園にした南北に細長く曲がりくねった大物公園の片隅に、フェンスに囲われた蒸気機関車がポツンと置かれている。屋外に置かれているにも係わらず黒光りし保存状態も良好のようである
昭和48年(1973年)より大物公園に展示されている蒸気機関車D51 8号機、昭和11年(1936年)製造の初期型。昭和47年までの36年間九州や山口県で貨物列車を牽引していたとのこと 〔尼崎市杭瀬南新町〕
後方の炭水車側から撮影
黒い蒸気機関車に白い猫
旧 尼崎紡績本社事務所
(ユニチカ記念館)
明治33年(1900年)に「尼崎紡績会社(現在のユニチカ株式会社)」の本社事務所として建設された。尼崎では最も古い洋風建築の一つで使用されている赤煉瓦はイギリスからの輸入品とのこと。今は当初の尼崎紡績会社からの資料館として公開されている 〔尼崎市東本町〕
建物正面
「ユニチカ記念館」 ・ 煙突?
表門
正面玄関
玄関ポーチ上のベランダ出入口
煉瓦は“イギリス積み”で積まれている
“イギリス積み”の煉瓦塀
建物裏側
裏門
丸型ポスト
旧 城内中学校
市立 尼崎高校
(現 尼崎市立文化財収蔵庫)
この地は大正2年(1913年)に「尼崎町立実科高等女学校」が創立された所で、その後「尼崎市立高等女学校※」となった。現存する建物は「尼崎市立高等女学校」時代の昭和13年(1938年)に新校舎として建てられたものとのこと。平成21年(2009年)より「尼崎市立文化財収蔵庫」として使用・公開されている。また、映画「三丁目の夕日」では凡天堂病院や高等学校のシーンで使用されたとのこと 〔尼崎市南城内〕
※:現在上ノ島町にある男女共学の「尼崎市立尼崎高等学校(市尼:いちあま)」の前身で往時は“尼女:あまじょ”と呼ばれていた
校舎正面
正面玄関
「尼女・市尼発祥の地」碑
映画「ALWAYS三丁目の夕日 ’64」で使用
されたセット・小道具等が今も残されている
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玄関ロビーに展示
館内廊下
展示室
尼崎城ジオラマ
ロシア艦の大阪湾来航
日本との条約交渉のため嘉永7年(1854年)に来航,天保山沖に停泊
イイダコ壷
東園田遺跡から発掘された今から2000年前の弥生時代のイイダコ壷、1個だけ鹿の絵が描かれていたとのこと
建物裏側
旧 尼崎警察署
大正15年(1926年)に尼崎警察署として建設。昭和40年(1965年)まで警察署として使用され。その後阪神淡路大震災までは児童館・市役所出張所・武道館として使用された。しかし現在は使用されていない 〔尼崎市北城内〕
尼崎市立 城内高等学校
尼崎市立 琴ノ裏高等学校
校舎は昭和12年(1937年)に建設、平成25年の「城内高等学校」と「市立尼崎工業高等学校」の定時制高校の2校の再編により「城内高等学校」・「琴ノ浦高等学校」として新しくスタートしたとのこと 〔尼崎市北城内〕
旧 阪神電鉄尼崎発電所
(現 阪神電鉄資材部倉庫)
阪神尼崎駅南東の尼崎車庫の一角にあり、明治38年(1905年)に建設され阪神電鉄創業の地といわれる。現在は阪神電鉄の資材倉庫として使用されている 〔尼崎市北城内〕
阪神 尼崎駅
「昭和大典記念」時計塔と高潮標 〔阪神尼崎駅前〕
時計塔は昭和天皇即位の礼を記念して昭和3年(1928年)に建てられたもので隣には過去の水害時の水位が標示されたポールが建っている
高潮標(水害の記録)上部
上:「昭和9年 室戸台風 最高水位 OP+5.10m」
下:「昭和25年 ジェーン台風 最高水位 OP+4.30m」
OP:大阪湾最低潮位(淀川水系の河川管理のために使用されている)
高潮標(水害の記録)下部
ポール:「ここの地盤高 OP+1.00m」
下:「平均満潮位 OP+2.10m」
ここの地盤高と平均満潮位から、満潮時には海水面より1.10m低いことになる
旧 尼崎市立開明小学校
(現 尼崎市役所開明庁舎)
昭和12年(1937年)に開明尋常小学校として竣工、現在は尼崎市役所開明庁舎として使用されている。南玄関の上には半円形に張り出した階段室が印象的なデザインとなっており後ろの高層マンションとは好対照を示している 〔尼崎市開明町〕
半円形に張り出した階段室
階段室
南玄関
庁舎入口
旧 向井眼科医院
(現 大津表具店)
大正6年(1917年)竣工 〔尼崎市開明町〕
旧 尼崎信用組合
(尼崎信用金庫記念館)
尼崎信用金庫の前身である「有限責任 尼崎信用組合(創業大正10年:1921年)」の本店事務所となっていた建物で、大正10年(1921年)竣工、窓は全てアーチ窓になっている 〔尼崎市東桜木町〕
旧 尼崎信用組合新本館
(現 尼信世界の貯金箱博物館)
建物は昭和5年(1930年)に尼崎信用組合新本館として建設されたもので、現在は尼崎信用金庫の「世界の貯金箱博物館」として、国内・海外の貯金箱が収蔵されているとのこと 〔尼崎市西本町〕
玄関
展示室内
旧 尼崎共立銀行本店
(現 本町ビル)
煉瓦造りであるが煉瓦の上には塗料が塗られている 大正5年(1916年)に「尼崎共立銀行本店ビル」として建設。その後 山口銀行・三和銀行などの支店となり、現在は「椿本ビル」から「本町ビル」名を変えて引き継がれている 〔尼崎市西本町〕
「本町ビル 1916」
ビル裏側も手の込んだデザインとなっている
ビル裏側窓
古い民家
二階の外壁と“うだつ”の部分には防火対策の銅板貼りとなっている
ユニークな窓の民家
洋風・和風を取り交ぜた色とりどりのユニークな窓の家
阪神 出屋敷駅
蓬川を渡る
(よもがわ)
尼崎競艇場
通称「尼崎センタープール」と呼ばれている
水明公園の阪神電車
尼崎競艇場の北側にある水明公園には今は廃線となった阪神 国道線の路面電車(チンチン電車)が静態保存されている。昭和2年(1927年)から昭和50年(1975年)の間、西野田から東神戸間を運行していた 〔尼崎市水明町〕
尼崎市立 大庄小学校
(おおしょう)
明治49年(1876年)に25番区西新小学校として創立した歴史ある小学校である。現在の校舎は昭和11年(1936年)建設されたもので、窓は“尖塔アーチ窓”となっている 〔尼崎市大庄中通〕
尖頭アーチ窓の校舎
旧 大庄村役場
(現 尼崎大庄公民館)
昭和12年()に大庄村役場として建設されたもので、設計は村野藤吾(1891〜1984年)。尼崎に併合後は「尼崎市大庄支所」として使用され、現在は大庄公民館となっており登録有形文化財に指定されている 〔尼崎市大庄西町〕
装飾の少ない窓であるが当時の村役場としては立派な建物である
屋上塔屋の装飾
壁面のレリーフ
旧 金井重工業トラレバレー
製造所熱処理工場
(現 朝日オートセンターオークション会場)
昭和3年(1928年)竣工 〔尼崎市大庄北〕
JR立花駅