長浜・彦根(その2)
ドクターイエローと遭遇
(その1)===【近江鉄道 鳥居本駅】→本陣→木綿屋→赤玉神教丸有川家→上品寺→ドクターイエロー→摺針峠→【近江鉄道 鳥居本駅】
2014年08月18日 晴れ 21,807歩
近江鉄道にて【彦根駅】から【鳥居本駅】に移動
近江鉄道
鳥居本駅
近江鉄道本線の米原駅に向け彦根駅の次の駅になる、開業は昭和6年(1931年)。 洋風の木造平屋建てで赤瓦の二段に勾配をつけたマンサード屋根となっている。 また正面出入口の脇には暖房用ストーブの煙突が取り付けられている。
駅舎正面
駅舎裏側(ホーム側)
駅舎側面
駅舎出入口屋根
駅舎出入口
駅舎側面窓
駅舎天井
鳥居本駅ホームにて
近江鉄道社章
中山道を北に摺針峠に向かう
合羽所・木綿屋
中山道の通るここ鳥居本宿は江戸の昔より雨合羽の生産が盛んで、行き交う旅人が買っていったといわれる。 当時は10軒の合羽屋が在ったとのこと、鳥居本の合羽が赤かったのは防水用に塗られた柿渋に弁柄が混ぜられていたとのこと。
「本家 合羽所 木綿屋 嘉右衛門」の看板
古い町並が続く
厨子二階虫籠窓の町屋
虫籠窓
湖東焼・自然斎の旧宅
江戸時代には「米屋」と称す旅籠で、湖東焼の絵付師である岩根治右衛門 雅号「自然斎(じねんさい)」が住んでいたとされる。
厨子二階虫籠窓の町屋
虫籠窓
赤玉神教丸有川家
(有川製薬株式会社)
創業 万治元年(1658年)、伊吹山で採れた薬草より作られた和漢健胃薬「赤玉神教丸」を旅人に販売、350年の歴史を持つ老舗である。
明治天皇鳥居本御小休所
曲がりくねった街道
法海坊の鐘 上品寺
江戸時代に上品寺の住職であった法海坊了海は衰退する寺の再興を行うために江戸に上った。 江戸市中で托鉢を行い、多くの吉原の遊女達の寄進もあり梵鐘を造り大八車に載せ、江戸からここ上品寺まで運んだといわれる。 またこの寄進により寺の再興も果たしたとのこと。
本堂
本堂木鼻
鐘楼
法海坊の梵鐘
梵鐘には寄進を受けた江戸の人々や遊女の名前が刻まれている。 梵鐘は余りにも有名になったため、大戦の金属供出を免れ今も上品寺の鐘楼に吊り下げられている。
「法海坊跡」碑 ・ 「東光山 上品寺」標石
棒屋跡?
「中山道鳥居本宿 棒屋跡」
曲がりくねった街道が続く
フジテック株式会社
エレベータ研究塔
高さ170mあり世界一の高さを誇っているとのこと。
ドクターイエロー 923型
フジテックのエレベータ研究塔を見ながら歩いていると突然黄色い物が迫ってくる、ドクターイエロー※だ! ドクターイエローは先日(13日前)に京都駅近くで見たばかりである、本当に何か良いことがあるのか?
※:正式名称を「新幹線電気軌道総合試験車」といい、初日は東京から博多へ、翌日には博多から東京に戻る点検スケジュールとなっている。 基本的には10日に1回で繰り返され時刻表には載らない運用になっているため、ドクターイエローを見ると幸せになるといわれている。