長浜・彦根(その1)

びわこ大仏・旧開知小学校

【JR長浜駅】→旧長浜駅舎→平方天満宮→良疇寺→徳勝寺→子供歌舞伎→船板塀→旧開知学校→旧第百三十銀行長浜支店→【JR長浜駅】=====【JR彦根駅
→(その2)

2014年08月18日 晴れ 21,807歩



JR長浜駅

JR長浜駅 西口側



日本最古の駅舎
旧長浜駅舎
(長浜鉄道スクエア)


旧長浜駅舎鉄道資料館
長浜鉄道スクエアは旧長浜駅舎・長浜鉄道文化館・北陸線電化記念館からなる。 旧長浜駅舎は明治25年(1882年)に完成した「初代長浜駅舎」で現存する日本最古の駅舎とのことである。 〔滋賀県長浜市北船町〕



館内では北陸本線に関する資料や鉄道模型などが展示され、ED7 01号電気機関車とD51 793号蒸気機関車が静態保存されている。







トンネルに取り付けられていた
旧北陸本線の石額

“萬世永頼”(ばんせいえいらい)
柳ヶ瀬トンネル・伊藤博文



“永世無窮”(えいせいむきゅう)
葉原トンネル北口・黒田清隆



“與国咸休”(よこくかんきゅう)
葉原トンネル敦賀口・黒田清隆



“功和干時”(こうかうじ)
山中トンネル杉津口・黒田清隆



“徳垂後裔”(とくすいこうえい)
山中トンネル山中信号場口・黒田清隆



“大享貞”(だいきょうてい)
子不知トンネル・後藤新平




蒼い空と蒼い湖(琵琶湖)




長浜市マンホール蓋

長浜の“長”を図案化した市章を中央に、周りには長浜城主 豊臣秀吉の馬印「千成瓢箪」が描かれている。



平方天満宮
(犬神伝説)

 
鳥居と社号標石
かつては「犬神神社」と呼ばれていたが、後に「天満宮」と改められたといわれる。 本殿脇には「犬塚」と呼ばれる石塚が祀られている、この「犬塚」には悲しい伝説が伝わる。 〔滋賀県長浜市平方〕



社殿(右側には「犬塚」がある)


本殿


犬塚


かつて、ここ平方村では毎年 妖怪に人身御供(ひとみごくう)として村の娘を差し出していた。 しかし妖怪が「メッキ」と呼ぶ村の名犬を恐れていることを知った村人が、翌年の人身御供で現れた妖怪と戦わせた。 結果 妖怪を退治することができたが「メッキ」も力尽きて倒れたいう。村人は「メッキ」に感謝しその霊を祀るためにこの「犬塚」を建てたとのこと。



犬塚
鋭い牙を持った「メッキ」にあやかり、この石に触れると歯の痛みが治まるといわれている。





良疇
(長浜びわこ大仏)

天満宮から「旧北国街道」を南に行くと大きな立像仏が目に入る、良疇寺(りょうちゅうじ)「長浜びわこ大仏」である。 付近には高い建物が少なく周りの家並から飛び出して見える。 ここ良疇寺は弘長2年(1262年)天山和尚の創建で本尊は阿弥陀如来。 また本堂前の庭は曽呂利信左衛門の作と伝えられる。 〔長浜市下坂浜町〕


本堂


本堂扁額 ・ 木魚


鐘楼の屋根に長浜びわこ大仏(阿弥陀如来立像)。


黄銅製で、高さ28mに大きなものである。


大仏の基壇に祀られた阿弥陀三尊仏


鐘楼


曽呂利信左衛門の作と伝えられる庭



徳勝寺

応永年間(1394年〜1428年)通峰真宗和尚の開基による、当初は「医王寺」と称し浅井家の菩提寺であったが小谷城落城と共に長浜の城下に移され、寛文12年(1671年)に現在の地に落ち着いたといわれる。 本堂の右に入った所に浅井三代の墓がある。 〔長浜市平方町〕


本堂


本堂扁額


鐘楼



浅井三代の墓
 
左から 浅井長政(三代目) 浅井亮政(初代) 浅井久政(二代目)




子供歌舞伎像

長浜曳山祭りで山車の上で男の子によって行われる。


子供歌舞伎像



舟坂塀

朝日町ステンション通りの商家には、琵琶湖の水郷で使用されていた舟の廃材を再利用して塀や壁に使用している。 現在でいうエコである、舟板材は水に強いという性質を持つがこれを利用したものと思われる。 〔長浜市平方町〕


舟板塀


舟板


舟板壁





長浜市マンホール蓋

2連結の角型マンホール蓋
長浜城主 豊臣秀吉の馬印「千成瓢箪」が描かれている。




旧 開知学校

明治4年(1871年)に滋賀県において最初に創られた学校(滋賀県第一小学校)で、明治7年(1874年)に校舎が建設された。 八角形の塔屋を有す特徴ある建物で、かつては太鼓が置かれ時を告げていたとされる。 登録有形文化財となっており昭和11年(1936年)に現在の地に移設された。 現在は展示室・会議室として利用され1階はビアレストランとなっている。 〔長浜市元浜町〕


正面玄関
「KAICHIGAKKO」と学校名が標示されている。



通用口


壁面の彫刻(左)


八角形の塔屋と玄関の丸型ポスト



旧 第百三十銀行
長浜支店 (黒壁ガラス館)


明治33年(1900年)に建設された「国立第百三十銀行」の建物で、壁には黒漆喰が塗られているため「黒壁銀行」と呼ばれ親しまれていた。 国の登録有形文化財に指定、現在はガラス工芸品のギャラリーとなっている。 〔長浜市元浜町〕








1階天井











階段手摺り


2階への階段


階段を見下ろす


2階 室内は吹き抜けとなっている


1階から2階を見上げる



JR長浜駅

JR長浜駅 東口側に戻る
駅前には豊臣秀吉と石田三成の出逢いの像が建つ



長浜駅前 「三献の茶」の像

豊臣秀吉(左)と石田三成(右)の出逢いの像
寺の小僧であった石田三成は鷹狩りで観音寺(米原市朝日)に立寄った秀吉にお茶を差し出した。この時 三成は熱さと量を変え三度に分け差し出したという。三成の気配りを気に入った秀吉は三成を家来に召し抱えたといわれる。
この話は「三献の茶」として知られている、また三成はこの近く長浜市石田町の土豪の子供として生まれた。



JRにて【長浜駅】から【彦根駅】に移動



車窓にて

JRの車窓にて、先ほど訪ねた「長浜びわこ大仏」が見える。



JR・近江鉄道 彦根駅




彦根駅の近江鉄道車輌







彦根駅前 井伊直政像

徳川四天王の一人 井伊直政は関ヶ原の戦功により石田三成の居城 佐和山城に入城した。 その後、ここ彦根に城を移そうとしたが病死、その遺志をを受け継いだ息子の井伊直継によって彦根城が築城された。



後半の【近江鉄道 鳥井本駅】から
摺針峠への道は(その2)に続く





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