安曇川


日本陽明学の祖
中江藤樹ゆかりの地を訪ねる



【JR安曇川駅】→三重生神社→三尾神社旧跡→安曇陵墓参考地→田中神社→玉泉寺→安閑神社→簑島神社→藤樹神社→玉林寺→中江藤樹墓地→藤樹書院跡→陽明園→【JR安曇川駅】

2014年07月29日 晴れ 24,940歩



JR安曇川駅




三重生神社参道




三重生神社
(みおうじんじゃ)


拝殿
祭神は応神天皇の五世孫「彦主人王(ひこうしこみ)」とその妃である垂仁天皇の七世孫「旗媛(ふりひめ)」の二柱。 二人は山崎社(三尾神社)の三尾大明神のお告げにより彦人・彦杵・彦太の三人の子供がが誕生し「三重生神社」と呼ばれるようになった。 時の天皇「武烈天皇」に後継ぎがいなかったため、三男の彦太が天皇として招かれ第26代「継体天皇」となった。 ここから3kmほど南には「継体天皇胞衣塚」がある。 〔滋賀県高島市安曇川町磐木〕



本殿







三尾神社旧跡
安産もたれ石

三尾神社旧跡
「彦主人王」の妃である「振媛」がここに産屋えを置き三人の子供を生んだとされる。 後の「継体天皇」である「彦太」を生んだ「振媛」がこの石にもたれられたと伝えられ、今も安産を祈願しこの石を撫ぜる妊婦も多いとのこと。 〔滋賀県高島市安曇川町田中〕


 
安産もたれ石(左)と「三尾神社旧跡」碑(右)



安曇陵墓参考地 参道




安曇陵墓参考地
(あどりょうさんこうち)


前方後円墳で、継体天皇の父で応神天皇の五世孫「彦主人王(ひこうしきみ)」の墳墓とされ、「王塚」・「ウシ塚」と呼ばれている。 〔滋賀県高島市安曇川町田中〕


墳丘



田中神社

参道鳥居
先ほど訪ねた継体天皇が誕生した地とされる三尾神社はここ田中神社に移され境内摂社となっている。 〔滋賀県高島市安曇川町田中〕



参道石段と石塔群(右奥)

 
社号標石と宝塔・石塔群


境内


拝殿


本殿


本殿正面


本殿に置かれた石、馬と人が描かれている


本殿彫刻


本殿彫刻



佐田神社

境内
祭神として佐田彦命が祀られている。 〔滋賀県高島市安曇川町田中〕



本殿



玉泉寺 五智如来石仏

参道石段
石段の下には「浄土坂地蔵」、石段の上には「六地蔵」


 
「浄土坂地蔵」と玉泉寺標石


「六地蔵」


山門


本堂


本堂扁額


鐘楼


五重石塔・宝塔(鎌倉時代後期)群



五智如来石仏

室町時代の後期に造られたもので、この近く高島町鵜川にある「鵜川四十八体石仏」と同時期のものと言われ、同じ石工集団によるものとのこと(右側から撮影)


大日如来(中央)

  
薬師如来     弥勒菩薩
 (左隣)      (右隣)


    
阿弥陀如来      釈迦如来
  (左端)       (右端)



阿弥陀如来二体(中央手前)


五智如来石仏(左側から撮影)



境内の石仏達(本堂裏側)

今も往時の姿を留め自然なかたちで残されている。














薬師堂




薬師如来石仏



境内の池に咲くバイガモ(梅花藻)

















町石と石仏達







石敢當(いしがんとう)
 
街道や村の辻や突き当りなどに建てられた標石で表面に「石敢當(当)」と刻まれ、魔除けの意味がある。 側面には「すぐ北国街道」・「すぐ京大津道」と刻まれ、道標の役目も果たしているよいである。 裏面には「天保十三年」の刻銘がある。 右は側面の「すぐ京大津道」



鶴塚

安閑神社への途中に高さ4〜5mの大きな石塔がある、この石塔には次のような鶴の夫婦愛の伝説が残されている。 〔滋賀県高島市安曇川町三尾里〕

昔々、一人の武将がこの地で雄鶴を射止めたが鶴には首が無かった、しかし翌年に雌鶴を射止めると鶴の羽の中に雄鶴の首の骨が挟まれていた言われる。 武将はこの鶴の夫婦の情のふかさに心を打たれここに石塔を建てて供養したとのこと。



安閑神社
(あんかんじんじゃ)


第27代 安閑天皇を祭神として祀る神社で、境内には「神代文字石」と「力石」が置かれている。 〔滋賀県高島市安曇川町三尾里〕



神代文字石と力石

神代文字石(左)と力石(右)


神代文字石
石の表面には絵とも文字とも判別が付かないものが刻まれ、古墳の一部とも言われているが、その目的も不明で古代のロマンをかきたてる。



力石(水口石)


安閑神社々殿


本殿



簑島神社
(みしまじんじゃ)


参道入口鳥居
JR安曇川駅の200mほど南に鎮座し、鳥居をくぐると民家の点在する100m余りある参道が続く。 〔滋賀県高島市安曇川町三尾里〕


 
境内 ・ 社号標石
社号は「簑島」と書いて「みしま」と読むとのこと。



拝殿


本殿



藤樹神社
(とうじゅじんじゃ)

 
境内入口鳥居 ・ 社号標石
大正11年(1922年)に中江藤樹
を祀るために創建。 〔滋賀県高島市安曇川町上小川〕

※:江戸時代初期に活躍、日本陽明学の始祖と言われ、慶長13年(1608年)ここ安曇川町の上小川において生誕した。 学者としてのみならず大変徳の高い人物でもあったため“近江聖人”とも呼ばれていた。


境内


拝殿


本殿拝所


本殿


絵馬



玉林寺 中江藤樹墓所
 
山門 ・ 寺号標石
創建等の詳細は定かではないとのこと、本尊は阿弥陀如来。 山門前には中江藤樹の墓がある。 〔滋賀県高島市安曇川町上小川〕



本堂


本堂内


中江藤樹 木像(本堂内に安置)


鐘楼



中江藤樹 墓所

墓所は玉林寺の山門前参道脇にあり、藤樹の墓の右には母の墓が、右手前には藤樹の三男「常省」の墓がある。 それぞれの墓には儒教の習いに従い土盛があり、その手前に墓碑が建てられている。


中江藤樹の墓


中江藤樹 母の墓


中江藤樹 三男「常省」の墓



日吉神社

境内入口鳥居
祭神は「阿夜詞志古泥神(あやかしこねのかみ)」、創祀の詳細については定かではない。 〔滋賀県高島市安曇川町上小川〕



拝殿


本殿



藤樹書院跡
日本陽明学発祥の地


藤樹は江戸時代初期に活躍、日本陽明学の始祖と言われ、慶長13年(1608年)ここ高島郡小川村(安曇川町 上小川)に生まれた。 慶安元年(1648年)に41歳で亡くなっている。 〔滋賀県高島市安曇川町上小川〕

 



藤樹書院
江戸時代初期、中江藤樹がここに質素な書院を建てて私塾を開き学則「藤樹規」を掲げた。 後の寛政8年(1796年)光格天皇から「徳本堂」の堂号を賜った。 書院内には藤樹直筆の「致良知(ちりょうち)」の書のほか多くの遺品が展示されている。



書院内(1)


書院内(2)


透彫り扁額 「致良知」


中江藤樹 石像


扁額 光格天皇から下賜の「徳本堂」の堂号


扁額 「藤木書院」


中江藤樹肖像


扁額 「致良知(ちりょうち)」



藤樹書院前の水路
 






陽明園

王陽明の生誕地 中国浙江省余姚市(よようし)と中江藤樹の生誕地 安曇川町の友好を記念して造られた中国形式の庭園。 〔滋賀県高島市安曇川町青柳〕

※:中国 明代の儒学者で陽明学を起こした、一方で武将としても優れ「三征」と呼ばれている。


園内には余姚市の「龍泉山公園」に建つ「陽明亭」を模して建てられた東屋や王陽明の石像などがあり、建材の殆どが中国から持ち込まれたものとのこと。 【現地説明板参考】


陽明亭


王陽明 石像



藤樹先生孝養像
(道の駅“藤樹の里あどがわ”にて)


少年期に住んでいた四国 大洲(現在の愛媛県大洲市)から帰り、母に「あかぎれ」に効く塗り薬うぃ手渡したと言う逸話を表しているとのこと。



JR安曇川駅

戻ってきた安曇川駅の東口側には中江藤樹の銅像が建つ


中江藤樹 像


中江藤樹 像




inserted by FC2 system