京都(近代建築 2)
(近代建築 1)→京都ハリスト正教会→京都中央電話局西陣分局→晴明神社→考古資料館→同志社女子大学→革堂→京都市庁舎→【阪急 河原町駅】
2014年06月30日 曇り 26,568歩
京都ハリストス正教会
(生神女福音聖堂)
明治34年(1901年)に竣工、京都府庁舎旧日本館の設計で知られる京都府技師の松室重光。 京都ハリストス正教会は、明治36年(1903年)に聖堂の成聖式が行われたロシア・ビザンチン様式の聖堂とのこと。 日本のハリストス正教会の中では一番古い教会とのこと。【現地説明板参考】
正面玄関
ステンドグラスの窓
窓の奥には堂内の反対側にあるステンドグラスの明かりが見える。
教会入口
京都中央電話局西陣分局
大正10年(1921年)に竣工、設計は逓信省技師 岩本禄、現在はNTT西日本京都支店 西陣別館となっている。重要文化財に指定されている。
レリーフ 裸婦像
レリーフ ライオン像
晴明神社
一の鳥居と「五芒星(晴明紋)」の扁額
平安中期に陰陽道を究めた安倍晴明が祀られている。 この地はもとは一乗戻橋の西詰の北100mの所にあり安倍晴明の屋敷跡とされている。 このため境内には先代の一条戻橋の欄干親柱が置かれている。
ニの鳥居
本殿と桔梗
先代の「一条戻橋」と「式神」石像
安倍晴明は式神を自由に操ったと言われ、普段は橋の下に封じられていたとされる。
安倍晴明像
晴明井と五芒星(晴明紋)
かつては安倍晴明の屋敷に湧いていた
五芒星(晴明紋)絵馬
境内に咲く桔梗
考古資料館と「西陣」碑
西陣織物館として大正3年(1914年)に建設されたもので、昭和5年(1979年)に考古資料館となった。 建物は京都市の登録有形文化財になっている。
正面玄関「考古資料館」
「西陣」碑
考古資料館の前に建つ「西陣」の石碑、応仁乱※でここに西軍が陣を敷いた。
※:室町時代 応仁元年(1467年)から10年間続く8代将軍足利義政の後継争い。
同志社女子大学
正門
正面には赤レンガタイル貼りに八角形の塔屋を有する「栄光館」が、また左に行くと「ジェームス館」がある。 何れも先に訪ねた「旧大毎会館」の設計者で「関西建築界の父」と呼ばれる武田五一によるもので、登録有形文化財に指定されている。
正門
栄光館
武田五一の設計により、昭和7年(1932年)に建設された、上部には特徴ある八角形の塔屋が設置されており、1階は講堂となっている。
塔屋
栄光館 正面
正面玄関
玄関内
ジェームス館
武田五一の設計により、大正2年(1913年)に建設された。
正面玄関
テラス
礎石 「A.D.1913 大正二年」
京都御苑を抜ける
明治天皇行幸所
京都府尋常中学校 碑
明治天皇は明治20年(1887年)に京都に滞在し、ここ「京都府尋常中学校」※に行幸された。 現在は「京都府立鴨沂(おうき)高等学校」となっている。
※:前身は明治5年(1872年)に設立された女学校「新英学級及女紅場」を前身とする伝統校。 昭和23年(1948年)にこの地に移転され3年後に「京都府尋常中学校」に改称された。
京都府立鴨沂(おうき)高等学校の正門
革堂(行願寺)
山門
猟師であった行円上人は射止めた雌鹿から小鹿が生まれたのをみて、殺生を悔い仏門に入った。 その後諸国の修行行脚の末、平安中期の寛弘元年(1004年)に京都の一条小川に一宇を設けたのが革堂の始めとされている。 宝永5年(1708年)に現在の地に移された。
本堂(革堂)
行円は射止めた鹿の革を身に付けていたことから“革聖(かわひじり)”などと呼ばれ、寺も“革堂(こうどう)”と呼ばれるようになった。
庫裏
鐘楼(左)と鎮宅霊符神(右)
愛染堂
加茂大明神(左)と百体地蔵(右)
境内に咲くアジサイ
京都市庁舎
本庁舎の一期工事は昭和2年(1927年)、ニ期工事は昭和6年(1931年)に竣工、設計は武田五一と中野進一。
本庁舎正面
中央塔屋
中央塔屋正面
玄関内
玄関ホール階段
ステンドグラス
玄関ホール
玄関扉
玄関ホールと階段
ホールに続く廊下
階段手摺り