宇治


往時の姿に蘇った平等院

【京阪 宇治駅】→平等院→辻利右衛門像→恵心院→興聖寺→東屋観音→宇治墓→西方寺→許波多神社(宇治陵)→旧陸軍引込線→一言寺観音→【地下鉄 醍醐駅】


2014年06月17日 曇り 26,690歩



京阪 宇治駅




宇治橋

日本三古橋の一つと言われ、紫式部の源氏物語 宇治十帖にも登場する。 奈良元興寺の僧 道登(どうと)によって646年に架けられた日本最古の橋と言われる。
:他に、瀬田の唐橋(大津市)と山崎橋(八幡市と大山崎町間)

 
宇治橋 東詰め親柱(左)と西詰 親柱(右)





上流に見える赤い橋は“朝霧橋”


紫式部像と宇治橋




改修工事を終えた
平等院 鳳凰堂


山門
平成24年(2012年)9月より鳳凰堂の改修工事が進められていたが、正面の中堂と翼楼部分工事が今年の4月に終了したとのこと。 朱塗りであった往時の姿に蘇ったと言われる鳳凰堂を訪ねた。



鳳凰堂と阿字池
本尊の阿弥陀如来像を安置する中堂と左右の翼楼(国宝)



平等院は永承7年(1052年)源重信の別荘を藤原道長が譲り受け「宇治殿」としたのが始まりとされ、その後 息子の頼道が寺に改め平等院とした。


中堂(阿弥陀堂)


中堂の鳳凰も改修を終え金色に輝いている


本尊 阿弥陀如来像


翼楼(左)


翼楼(右)








鐘楼と梵鐘


梵鐘
その装飾の美しさから日本三銘鐘
の一つとなっている。 ここに吊られているのは複製で、実物(国宝)は境内 資料館に展示されている。
:他に、“銘”の京都「神護寺」、“音”の大津「三井寺」の梵鐘がある。










阿字池に架かる反橋


平等院旧南門(安土桃山時代)


養林庵書院(慶長6年 伏見城より移築)


塔頭 浄土院


浄土院 救世船乗観音


浄土院 羅漢堂





源頼政の墓と“扇の芝”

源頼政の墓
平家討伐に向かう途中、治承4年(1180年)宇治川の合戦で平知盛に敗北し、ここで扇を開き辞世の句を残し自刃したと言われる。



扇の芝“辞世の句”

埋もれ木の 花咲くことも 
なかりしに 身のなる果てぞ
         悲しかりける


               源頼政



日形 石灯籠


 
大敬庵通園の墓(左)
石塔(右 鎌倉時代)
:源頼政の家臣で「通園家」(甘味処・和風カフェ)の初代 古川右内の墓


最勝院 池殿 地蔵堂


堂内の池殿地蔵


塔頭 最勝院庫裏


最勝院 玄関彫刻


最勝院 不動堂


堂内の不動明王


観音堂(鎌倉時代 重文)



辻利右衛門胸像
 
平等院の山門脇に建てられている。 辻利兵衛(後の辻利右衛門)は弘化元年(1845年)に宇治で生まれ、宇治茶に改修を加え宇治抹茶・宇治玉露を全国に広めた。 万延元年(1860年)に創業し、現在も宇治茶・スィーツの老舗「辻利兵衛本店」として受け継がれている。



再び宇治川を渡る

朝霧橋から宇治川上流を見る。



弘法大師像
 
恵心院への上り坂の参道を登った曲がり角に弘法大師石像が立っている。


弘法大師石像



恵心院

山門
“花の寺”として知られ、この時期にはアジサイが境内に咲く。



本堂
平安時代 弘仁12年(821年)に弘法大師により開創、後に恵心僧都 源信によって再興され「恵心院」となった。 本尊は十一面観音。



本堂 扁額

 


境内に咲くアジサイ
















ドクダミ ・ ムラサキカタバミ


ホザキシモツケ ・ 花ザクロ



興聖寺

表門


参道(琴坂)


参道脇の五重石塔


山門


薬医門


本堂(法堂)


本堂「興聖宝林禅寺」の扁額


山門扉の寺紋は道元禅師の「久我龍胆(こがりんどう)紋」


本堂前庭(正面奥は薬医門)


庫裏(本堂から見て左側)


僧堂(本堂から見て右側)


秋葉大明神


経蔵


老梅庵


鐘楼



東屋観音

聖観音菩薩坐像(鎌倉時代後期)


地元の人々の信仰が厚いようで、まだ新しい花が供えられている。



宇治墓
(菟道稚朗子墓)


菟道稚朗子(うじのわけいらつこ)尊は応神天皇の皇太子で、仁徳天皇の異母兄弟(弟)となる。 仁徳天皇との皇位継承に関するトラブルにより自ら命を絶ったと言われる。 〔京都府宇治市菟道丸山〕


陵墓は全長80mの前方後円墳で「丸山古墳」とも呼ばれている。

 
遥拝所



西方寺(弥陀次郎の伝説)

参道とアジサイ


山門のすぐ前には参道を横切り京阪宇治線が走っており、丁度 遮断機が下りた所であった。


山門
ここ西方寺には「弥陀次郎」の伝説がある。

かつてこの辺りにあった巨椋池(おぐらいけ)の漁村 一口(いもあらい)には悪次郎と呼ばれる荒くれ猟師がいた。 ある日、悪次郎はひつこく托鉢に来る僧の頬に焼火箸を当てて追い返したが、気になって後をつけると僧は長岡の光明寺に消えて行った。 釈迦堂に入った悪次郎はそこに頬に火傷の痕がある釈迦如来を見て、改心し仏門に入りこの地の村人のために働いたとのこと。 いつしか人々は「悪次郎」のことを「弥陀次郎」と呼ぶようになった。 その他、現在の“弥陀次郎川”の開削なども行ったと言われる。



山門に咲くアジサイ





本堂前に咲くアジサイと菖蒲
本尊は阿弥陀三尊












本堂濡れ縁の猫





本堂から見る山門と京阪電車



大海皇子 戦勝祈願の
許波多神社と宇治陵
(こはたじんじゃ)


境内鳥居
大化元年(645年)に皇極天皇の勅命により藤原鎌足が造営したのが始めとされる。 大海人皇子が壬申の乱を前にして大津京を出陣し吉野に向かう途中に立寄り戦勝祈願をしたとされる。 また境内には「宇治陵」(狐塚と呼ばれる)があり藤原基経の墓と伝えられている。



拝殿と本殿(左奥)


本殿拝所


本殿


境内摂社


絵馬


宇治陵

境内鳥居から見る宇治陵


宇治陵(狐塚)
藤原基経の墓と伝えられており、宮内庁の管理となっている。


 
「宇治陵 宮内庁」の標石



許波多神社 境内入口鳥居



旧陸軍宇治火薬製造所
木幡分工場鉄道引込泉跡


許波多神社を出て北に300mも行くと、高架跡が見えてくる、現在は使用されていないようである。 後日、調べると且つての軍事工場(宇治火薬製造所)の引込線で、ここから南東に500m程の所にあるJR木幡駅に続いているとのこと。 現在は高架跡の橋桁は撤去され、高架跡を横切って京阪宇治線が通っているようである。


道路の上には往時の橋桁が今も架けられている。





宇治から伏見へ入る



一言寺観音(金剛王院)
 
参道石段
正式寺号は「金剛王院」と言い、醍醐寺の別格本山。 開基は藤原通憲(みちのり:信西)の娘である阿波内侍(あわのないし)。 〔伏見区醍醐一言寺裏町〕



山門


山門脇に少しだけ残るアジサイ
アジサイの寺として知られ境内には3000株が植えられているが、今年は鹿に食い荒らされて山門脇に少し残っているのみである。 アジサイを期待して訪ねたが残念である。



本堂
本尊は千手観音で、一言だけ祈願すれば即座に叶うと伝えられており、“一言寺観音”として親しまれている。



地蔵堂


鐘楼


不動明王石像


ヤマモモの古木

山門脇にはヤマモモの古木が実を付けている。


ヤマモモの古木の幹


ヤマモモの実




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