京都(その2)
近代建築
(その1)→京都大学→京都大学YMCA会館 地塩寮→京都府立医科大学 橘井寮→鴨沂高等学校→旧 京都市都市整備校舎区画整理部→旧 第一銀行 丸太町支店→京都市立銅駝美術工芸高等学校→島津製作所
創業記念館→【阪急 河原町駅】
2014年06月11日 曇り 27,104歩
京都大学
総合人間学部正門と門衛所
総合人間学部正門、登録有形文化財となっている。
門衛所
本部校内正門
明治26年(1893年)竣工、登録有形文化財となっている。
本部本館(時計台)
大正14年(1925年)竣工。
時計台
廊下
ホール
資料展示場
保健診療所
(旧 電話拡張交換室)
大正14年(1925年)竣工。
尊攘堂(そんじょうどう)
明治36年(1903年)竣工。 吉田松陰は、門人 入江子遠に京都に大学創建を託したが、その後 入江子遠も亡き人となった。 松陰の遺志を継いだ品川弥ニ郎が尊攘堂を建て、尊王攘夷で倒れた勤王志士達を祀り、その肖像・衣裳などが保存されている。
尊攘堂正面、登録有形文化財に指定されている。
旧 文学部陳列館
大正3年(1914年)竣工、登録有形文化財に指定されている。
瓦積基壇、北白川廃寺出土
(飛鳥時代後半 7世紀後半)
舟形石棺、八幡茶臼山古墳出土
(古墳時代前期 4世紀)
箱型石棺、徳島県論田小学校出土
(古墳時代中期 5世紀)
菊の御紋入の石造物?
福井謙一先生 ノーベル化学賞
受賞記念碑
1981年11月(昭和56年)
京大 農学部
演習林旧本部事務所
昭和6年(1931年)竣工、登録有形文化財に指定されている。
ロボット芝刈り機の試験運転中
湯川秀樹博士 胸像と
基礎物理学研究所
昭和24年(1949年)ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士は昭和28年(1953年)から17年間ここ京大の基礎物理学研究所の所長を務めた。
湯川秀樹博士 胸像
農学部 表門と門衛所
大正13年(1924年)竣工、登録有形文化財に指定されている。
門衛所
「登録有形文化財」
京都大学YMCA会館
地塩寮(ちえんりょう)
大正2年(1913年)の竣工。 設計はウイリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964年)で、登録有形文化財となっている。 京都大学の学生自治寮として使用され、平成15年(2003年)には改修工事が行われ綺麗によみがえった。
▽のマークはYMCAを表している
京都府立医科大学
基督教青年会 橘井寮
先の地塩寮のすぐ西隣にある、設計は地塩寮と同じヴォーリズ。
ここにもYMCAの▽マークがある
鴨沂高等学校
(おうきこうとうがっこう)
明治4年(1872年)創立の日本最古の旧制高等女学校である「京一女」を前身とする。 現在の校舎は昭和10年(1935年)に建てられたもので老朽化のため平成24年(2012年)に建て替えが計画され、現在
鴨沂高校は御所の北側に移転しており、新校舎は平成28年(2016年)完成するとのこと。
旧 京都市都市整備公社
区画整理部
建築年代は定かではないが相当古い建物のようである。 本公社は昨年の4月から三条通に面した東山区三条通大橋東ニ町目に移転したとのこと。 入口には「いきいき筋トレルーム」の標示板があり、今は中高年者のトレーニング施設となっているようである。
旧 第一銀行 丸太町支店
(京都中央信用金庫 丸太町支店)
昭和2年(1927年)竣工。
木戸孝允旧跡
維新の政治家 木戸孝允(1833〜1877年)は鴨川畔の近衛家邸を買取り京都別邸とした。
京都市立銅駝(どうだ)
美術工芸高等学校
明治13年(1880年)に日本最初の画学校として創設、現在は京都市立の芸術高等学校となっている、公社は昭和初期に建てられたものとのこと。
島津製作所 創業記念館
明治8年(1875年)島津製作所を創業した島津源蔵が居住し本店とした所で、当時の木造二階建の建物が残され、島津資料館として使用されている。