京都(その1)


近代建築

【阪急 河原町駅】→尾州屋老舗→東華菜館→レストラン菊水→南座→香鳥屋ビル→旧 村井銀行祇園支店→太鼓望楼→要法寺→旧 山中合名会社美術館→並河靖之七宝記念館→有鄰館→京都市美術館→京都府立図書館→旧 京都守護職屋敷門→武徳殿→楽友会館→(その2)


2014年06月11日 曇り 27,104歩



尾州屋老舗

京都の中心、四条通と河原町通の交差する角地の高島屋のビルの窪地に建つ古い建物で“そば餅”の老舗「尾州屋老舗」や化粧品店などが入っている。 店は昭和5年(1930年)の創業で高島屋のビルに接し古い建物が取り残され不思議な感じがするが、こうなるには色々と事情があったのではないかと思われる。



左から「新雪(衣料再生)」・「尾州屋老舗」・「池善化粧品店」



東華菜館

大正15年(1926年)に西洋料理店「矢尾政」の二代目 浅井安次郎がビヤホールとして建設、設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。 昭和20年(1945年)に現在の北京料理店「東華菜館」になった。
:建築家であると共に実業家でもあり、メンソレータムで知られる「近江兄弟社」の前身である「ォーリズ合名会社」の創業者でもある。


鴨川(手前)と四条大橋(右)


屋上の塔屋


正面玄関



レストラン菊水

創業 大正5年(1916年)の老舗洋食レストランで、建物は大正15年(1926年)に
建てられたものとのこと、登録有形文化財に指定されている。






屋上塔屋











南座

南座正面
正式には「京都四條南座」と称し、建物は昭和4年(1929年)に建てられたもの。 京都所司代より認許された7つの劇場は時代と共に消失し向いにあった「北座」が明治25年(1892年)の四条通拡幅に伴い閉鎖されたため、現在 残されているのはこの南座のみとのこと。 日本最古の劇場といわれ登録有形文化財に指定されている。



南座西面
歌舞伎は慶長8年(1603年)に、ここ四条河原で出雲阿国が男装して「かぶき踊り」を披露したのが始めとされる。



西玄関



香鳥屋ビル

南座から東に400mほどの所に建つ、創業 明治19年(1886年)のハンドバックや和装小物の老舗、建物は大正15年(1926年)の建設。








旧 村井銀行祇園支店
(旧 エンマ)


“たばこ王として知られる「村井吉兵衛」創業の村井銀行の祇園支店として大正13年(1924年)に建てられた。 後を引き継いだ「エンマ」も平成15年(2003年)に撤退し、現在はイタリアンの「カーラ ラガッツァ」となっており、登録有形文化財に指定されている。














太鼓望楼

かつては、各学校には望楼が設けられ時や火災などを知らせた。 当時の望楼が残されているのは明治年(1876年)に造られた、ここ有済小学校のみである、登録有形文化財に指定されている。


太鼓望楼


「登録有形文化財」のプレート



要法寺
鴨の親子


本堂
要法寺は鎌倉時代の延慶元年(1308年)に日尊が山城に法華堂を建てたのが始めとされる。 京都の市街地にあるが広大な敷地を有し、境内には池(清涼池)も掘られている。



清涼池
毎年、春には鴨が産卵・子育てのために飛来し、小鴨が成長すると西に500m程の所を流れる鴨川へ子連れの引越しが始まる。



清涼池の鴨のつがい


小鴨
5日前の6月6日に孵った小鴨






8羽の小鴨が孵り順調に育っているようである。 今年は一度3月に11個の卵を産卵したが全て無くなってしまったとのこと。 この後、鴨の親子は7月19日に無事に鴨川に引越しをしたとのこと。



白川と柳並木




旧 山中合名会社美術館
(パビリオンコート)


神宮道を挟み青蓮院門跡の向いに位置しており、古美術商の中山合名会社の迎賓館・美術館として建設された。


門:大正元年 の建設


和館:明治37年の建設











並河靖之七宝記念館

かつては七宝作家 並河靖之(弘化2年〜昭和2年 1845〜1927年)の住宅・工房(明治27年建設)。 現在は並河靖之による七宝作品の資料館となっており、登録有形文化財に指定されている。











白川と古い町並




有鄰館(ゆうりんかん)

正式名称は「公益財団法人 藤井斉成会 有鄰館」と称し、藤井紡績創業者「藤井善助」の中国美術工芸品のコレクションを収蔵・展示するために大正15年(1926年)に建設された。 京都市の登録有形文化財となっている。


正面玄関








有鄰館の和風西門


「財団法人 藤井斉成会事務所」
「財団法人 滋賀県自助会事務所」
「財団法人 憲章社事務所」



屋上の塔屋
朱塗りで八角の塔屋は中国から移築されたものとのこと。




京都市美術館

建物西側 正面玄関
昭和3年(1928年)に京都で開催された昭和天皇即位の大典を記念して「大礼記念京都美術館」として、昭和8年(1933年)に建設された。 美術館の裏側には日本庭園が造られているが、訪ねる人は少ないようである。



正面玄関部





設立当初の「京都美術館」のプレート(左)


正面玄関部の装飾


建物南側


建物南側 出入口


建物南側 出入口の扉


建物南側の装飾


建物東側


建物東側 出入口


建物東側の日本庭園


日本庭園の池越しに見る美術館


美術館 事務所棟


事務所棟 玄関



京都府立図書館

明治42年(1909年)にここ岡崎に地に「京都府立 京都 図書館」として開館した。


京都 図書館正面


「京都図書館」


入口と外階段


階段の装飾



旧 京都守護職屋敷門

幕末の文久2年(1862年)に京都守護職に任命された会津藩 松平容保は、金戒光明寺に本陣を置いた。 その後、会津藩御用屋敷や京都守護職屋敷(現在は京都府庁舎が建つ)などを数カ所建てられた。 この門は京都守護職屋敷の門を移設したものとされ、ここは京都市武道センターの南側に位置する。 もう一つの京都守護職屋敷門と言われるものが二条城の東向いにある京都国際ホテルの東門として移設されているとのこと。



旧 武徳殿

平安遷都1100年を記念し大日本武徳会の演武場として、明治32年(1899年)に建設。 大正13年(1924年)には「日本武道専門学校」が開設され、日本武道の中心地となる。 その後 京都市の所有となり「京都市警察学校・京都市立芸術大学音楽部」の施設として使用され、現在は「京都市武道センター旧武徳殿」となっている。


正面玄関








室内





京都大学 楽友会館

京都大学の創立25周年を記念し大正14年(1925年)に同窓開館として建てられたもので登録有形文化財となっている。 スパニッシュ・ミッション様式のデザインで玄関の丸屋根の庇やY字型の柱がユニークである。


Y字型の柱


玄関正面





建物内から見る玄関


二階への階段


階段踊場


階段踊場のステンドグラス窓


「京都帝国大学」 ・ 「大正十四年」


「登録有形文化財」



京都(その2)に続く




inserted by FC2 system