都島

泉布観と造幣局


【阪急 天神橋筋六丁目駅】→母恩寺→都島神社→都島工業高等学校→鵺塚(ぬえづか)→桜宮神社→旧桜宮公会堂→泉布観→造幣局→【JR大阪城北詰駅】

2014年04月30日 曇り 19,132歩



母恩寺(ぼおんじ)

山門 〔大阪市都島区都島本通〕
仁安3年(1168年)高野山に参詣する途中の後白河法皇がこの辺りの景色の良さから、生母待賢門院(たいけんもんいん)の菩提を弔うため創建したとされる尼寺。



本堂



都島神社

参道入口 〔大阪市都島区都島本通〕
かつてこの辺りは淀川本流(現在の大川)の傍で、度々洪水に見舞われていた。 この地を行幸した後白河法皇が里人を哀れに思い勅命により永暦元年(1160年)に神社を創建したのが始めとされる



境内入口鳥居


鳥居扁額


拝殿


本殿


石造三重宝篋印塔
境内にある宝篋印塔は通常は一重であるが、このような三重のものは非常に珍しいとのこと。 嘉元2年(1304年)の銘があり関西で一番古い石塔とされる




大阪市立 都島工業高等学校

明治40年(1907年)に「市立大阪工業学校」として北区北野牛丸町(現在の大阪駅北口前)に創設、昭和23年(1948年)に現在の「都島工業高等学校」に改称された 〔大阪市都島区善源寺町〕


重厚な正面玄関



農業用水門

かつてこの辺りは淀川の水を利用した田園が広がっていたと言われ、この水門は往時のものを復刻したもので、銀行前の交差点に置かれ往時の田園風景の面影を偲ぶことができる 〔大阪市都島区都島本通〕





鵺塚(ぬえづか)
 
平安時代末期、近衛天皇の時代(1150年頃)、頭は猿・尾は蛇・手足は虎の“鵺”と呼ばれる妖怪が毎夜出没し京の都を騒がせた。 “鵺”退治の命を受けた源頼政は京の明神神社に祈願し、無事に“鵺”を退治することが出来た。 “鵺”の死骸は舟に乗せ淀川に流されたが舟はこの地に流れつき里人により“鵺”はここに葬られたと言われる。 〔大阪市都島区都島本通〕








大阪ふれあいの水辺

大川(旧淀川本流)の左岸の貯木場跡に大阪府によって造られた140m幅の人工の砂浜


カラスの足跡か?



桜宮神社

境内は桜ノ宮のホテル街に隣接し鎮座している 〔大阪市都島区中野町〕


境内入口鳥居


拝殿


本殿




 
珍しい紙製の絵馬(左)
「往来安全」の標石(右)




大川左岸の遊歩道を進む




桜宮橋を渡る




水陸両用バス
「OSAKA ダックツアー」と称して、桜ノ宮公園のスロープから水上に浮かび大川から大阪都心を観光するとのこと






旧 桜宮公会堂
(明治天皇記念館)

かつては明治天皇記念館として建設された建物で、正面玄関部分は造幣寮(
現在の造幣局)の鋳造場玄関を移設したものとのことで重文に指定されている。 現在はレストラン・結婚式場として使用されているようである 〔大阪市北区天満橋〕



正面玄関(重文)
上部の紋様は貨幣をデザインしたものか?


 
玄関の柱(左)と天井(右)


玄関の柱

 
玄関の扉(左)と窓(右)


建物西側
レストランの入口となっている



建物東側、地階への入口がある


地階への入口


建物東側の日本庭園



泉布観(重文)

旧 桜宮公会堂の南側に位置し、大阪では最古の洋風建造物である。 明治4年(1871年)に造幣寮の応接施設として建築、設計はアイルランド出身のトーマス・ジェームス・ウォートルス。 「泉布館」の名称は“貨幣”を意味する“泉布”からきているとのこと。 ベランダを巡らせた「ベランダ・コロニアル様式」の建築で窓は床から立ち上がった「フランス窓」が取り入れられている 〔大阪市北区天満橋〕


正面玄関








窓は床から立ち上がった「フランス窓」
窓の外側には鎧戸が取り付けられている






煉瓦小屋

かつて泉布観の南に在った異人館の付属建物で、この建物だけ残されたとのこと。 煉瓦は“フランス積み”で積まれている





“フランス積み”で積まれた煉瓦



煉瓦倉庫

明治天皇記念館に付属する建物で煉瓦は“イギリス積み”で積まれている


“イギリス積み”で積まれた煉瓦



造幣局 本局

正面玄関


造幣局の紋章?


正面玄関


本館正面
現在の本館は昭和13年(1938年)に建替えられたもの



欽明門と鉄製フェンス


欽明門
門柱には菊の御紋が入っている



創業当時のガス灯


創業当初の正門と衛兵詰所





長谷川為治像
明治30年(1897年)の貨幣法の制定や造幣局の発展に尽力



圧印機
創業当初のもので金型の極印(ごくいん)をプレスし硬貨の表面に模様・数字などを刻む



本館東側面
「コ」の字型になった本館の東側



造幣局博物館への道
この道は春には桜並木の通り抜けが行われ多くの見物客で賑わう




造幣局博物館

造幣局本局の構内にあり昭和44年(1911年)に建てられた造幣局火力発電所の建物を再利用したものである。 館内には往時の煉瓦が残され展示されている


大時計
明治9年(1876年)に製造された大時計で当時の金銀貨幣工場に設置されていた



昭和44年(1911年)建設の造幣局火力発電所で使用されていた煉瓦、「イギリス積み」で積まれている。 周りの新しい煉瓦も「イギリス積み」となっている


展示室入口


創業当初の造幣局(往時は造幣寮と呼ばれた)の模型


造幣局の断面模型
写真右下の玄関が先ほど訪ねた明治天皇記念館に移された玄関と思われる



大日本大坂造幣局の正面図


造幣局絵図


展示室


展示室


最初に作られたメダルの極印(左)
手回し貨幣計数機(右)



天秤(左)
縮彫原版と種印(右)


千両箱(左)
北前船等で使用された船箪笥(右)



銀箱(左) 天秤と分銅(右)


銭函(左) 地方銀(右)


大判(左)
我が国最初の紙幣「太政官札」(右)



石貨(左) 貝貨(右)



桜宮橋

桜宮橋の親柱


桜宮橋 階段塔

桜宮橋の西詰にある橋から大川の河川敷に降りる階段塔、竹田吾一の設計








階段塔内の天井




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