京都


京の枝垂桜


【阪急 烏丸駅】→六角堂→宗像神社→京都御苑→有栖館→京都府庁→平安宮一本御書所→山中油店→内裏内郭回廊跡→立本寺→千本釈迦堂→本隆寺→首途八幡宮→西陣の碑→本満寺→長徳寺→【京阪 出町柳駅】

2014年03月31日 晴れ 23,602歩



六角堂(頂法寺)
 
山門
頂法寺は用明天皇2年(587年)に聖徳太子によって創建、西国三十三所の第十八番札所となっている。 本堂が六角形となっているため「六角さん」と呼ばれ親しまれ、ビルに囲まれた境内には日照と共にピンクに色付く“御幸桜”が満開をむかえている。 明治10年(1877年)再建



六角堂(本堂)
六角堂は頂法寺の塔頭本坊に当たり、華道 池坊発祥の地で、代々池坊が六角堂の管理を行ってきた


本堂(六角堂)扁額


「観世音菩薩」赤提灯


柱に貼られた“千社札”


絵馬


六角堂の枝垂桜(御幸桜)

御幸桜と十六羅漢像


御幸桜と六角堂


十六羅漢像


十六羅漢像


太子堂前池の白鳥


太子堂
聖徳太子の2歳像が安置されている



御幸桜と親鸞堂
親鸞聖人像が安置されている












へそ石(要石)
京都のほぼ中央に位置するためこの名が付いたと言われる




宗像神社

境内入口鳥居
京都御苑の南西に鎮座し、祭神は宗像大神。 平安遷都の翌年に平安京の守護神として延歴14年(795年)桓武天皇の勅命を受け、筑前 宗像大社より宗像大神を勧請し創建された



本殿拝所


本殿


境内に咲く桜とレンギョウ(連翹)

拝殿越しに見る境内


拝殿と桜





レンギョウ(連翹)





ハナニラ(花ニラ)


絵馬



京都御苑の枝垂桜

出水の枝垂桜

















京都御苑 石薬師御門




石薬師御門前の桜



平安女学院大学
有栖館の枝垂桜

有栖川宮家の旧邸で、京都御苑内に建てられていたが、京都御苑南西の烏丸通に面した現在の地に移された








烏丸通の歩道に垂れ下がる枝垂桜


歩道から見上げる桜


平安女学院大学の枝垂桜

歩平安女学院大学のキャンパス前の枝垂桜



京都府庁 旧本館(重文)

松室重光設計によるルネサンス様式の建物で、明治37年に竣工した


幕末の文久2年(1862年)京都の治安維持のため、金戒光明寺に京都守護職の本陣が置かれた。 その後この地には会津藩の京都守護職屋敷が建てられたとされる


中庭に咲く桜




祇園しだれ桜の孫

現在、円山公園にある“祇園しだれ桜”の種から育てたもので、初代しだれ桜の孫にあたるとのこと
祇園しだれ桜














祇園しだれ桜の孫




「京都守護職屋敷」の碑

庁舎正門を入った右側に建ち、京都守護職の上屋敷が在った。 京都守護職は京都所司代・京都奉行所よりも強力な権限が与えられていた



平安宮一本御書所跡
(京都市上京区下立売通智恵光院西入)


かつて平安宮の内裏の東側に在った役所で、世間に流布された書籍を一本(一冊)だけ書き写し保管した所。 現在の国立図書館のような所か?。 平治の乱(1159年)では、後白河上皇と二条天皇がここに幽閉されたと言われる

 
「平安宮一本御書所跡」碑

 
「左 妙心寺 ・右 ほり川」道標



山中油店

安政年間(1818〜1829年)より200年続く油の専門店で、建物は安政2年(1855年)に建てられたものとのこと。 登録有形文化財になっている

 
「登録有形文化財」標識











一斗樽





昭和20年6月に西陣の空襲でB29から落とされた爆弾の破片



平安宮 内裏内郭回廊跡

平安宮の内裏には二重の郭が廻らされていたが、ここはその内側の「内郭(ないかく)」があった跡と言われる


「平安宮内裏内郭回廊跡」碑と地蔵尊



立本寺

山門(表門)
元亨(げんこう)元年(1321年)日像によって創建された妙顕寺が始めとされる。 その後、宝永5年(1708年)の“宝永の大火”後に現在の地に移され再建された



本堂





本堂屋根


本堂前の枝垂桜








祖師堂


祖師堂と枝垂桜


刹堂(せつどう 鬼子母神堂)





大報恩寺
(千本釈迦堂)


本堂前の枝垂桜(おかめ桜)
ここ大報恩寺には、本堂の建立を手掛けた大工“長井飛騨守高次”と妻“おかめ”の伝承が残されている。 
柱の寸法を間違えて短く切ってしまった“高次”に対し、妻の“おかめ”は枡組にて調整するようにアドバイスした。 しかし“おかめ”は上棟式の前日に女の知恵で任を果たしたことが知れては夫の恥じと思い自殺したと言う。境内のは“おかめ像”と“おかめ桜”がある








“おかめ像”と“おかめ桜”





本隆寺

山門(南門)
長享(ちょうきょう)2年(1488年)に日真大和尚(にちしんだいかじょう)により四条大宮に創建されたのが始めとされる。 その後、天文5年(1536年)の天文法乱において焼失し一時 泉州堺に避難したが、6年後に現在の地に再建された






本堂





境内に咲く枝垂桜





祖師堂


祖師堂前の桜


鐘楼



首途八幡宮
(かどではちまんぐう)


参道入口鳥居
大分県の宇佐八幡宮より勧請、後に牛若丸(源義経)がここ内野八幡宮で道中の安全を祈願し、吉次と共に奥州藤原氏を頼り平泉に旅立ったと伝えられている。 このため首途(かどで)八幡宮と呼ばれるようになった









「源義経奥州首途之地」碑


鳥居
八幡宮(左) ・ 辨財天(右)



首途八幡宮社殿








西陣の碑
(京都市考古資料館)


京都市考古資料館
石碑は京都市考古資料館前に建てられ、応仁の乱で西軍が陣を敷いた所である



西陣の碑



本満寺

山門(重文)と妙見宮鳥居
応永17年(1410年)に玉洞妙院日秀によって創建、後に徳川8代将軍 吉宗の病気平癒を祈ったことから、将軍家の祈願所となった。 境内には均整の取れた形の良い枝垂桜が満開を迎えている



本堂


本堂扁額


本堂前の薮椿





七面大明神


鐘楼


蓮乗院石廟


境内に咲く枝垂桜







方丈








洗い浄行菩薩堂


洗い浄行菩薩



長徳寺のオカメ桜

山門前の「オカメ桜」


「オカメ桜」は終盤を迎えている






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