道明寺・枚岡
(その2)



枚岡の梅


(その1)→恩智城跡→恩知神社→感応院→安養寺→梅岩寺→岩戸神社→高御座神社→【近鉄 信貴山口駅】===【近鉄 枚岡駅】⇔枚岡神社

2014年03月10日 晴れ 30,400歩



恩智城址
(旧 恩智小学校跡)


恩智城は、この地の豪族 恩智
左近満一により築城、城跡からは大阪平野が一望できる。 正平3年(1348年)に四条畷の合戦で楠木正行の討死と共に落城した。 その後、ここに恩智小学校が創設された、今は赤レンガの門柱と手洗石が残されている 〔大阪府八尾市恩智中町〕



赤レンガの旧恩智小学校の門柱


「現 南高安小学校(旧恩智小学校)発祥の地」碑(左)
「恩地城址」碑(右)



旧 恩智小学校の手洗石


城跡からの展望
大阪平野が一望出来る、左奥には遠く“あべのハルカス”が見える




恩智神社への道




恩智神社
 
参道石段


拝殿


本殿
大御食津姫命(左) ・ 大御食津彦命(右)



本殿 大御食津姫命


本殿 大御食津彦命


元春日大社
創建当初の祭神であった天児屋根命が祀られている



八大龍王 鳥居


八大龍王
恩智神社は河内の下水分社とも言われ、龍神が神の使いとして祀られている



閼伽井戸(清明水)
弘法大師が神社を訪ねた時に、ここに杖を立てたところ清水が湧き出したと伝えられており、雨が降る前に湧水の色が赤茶色に濁ると言われる




恩智神社 神宮寺
感応院


恩智神社参道石段を少し下った所に神宮寺の感応院がある


山門


本堂
本堂は平成20年に建立されたまだ新しいものである



目黒不動明王



安養寺 参道入口

安養寺 参道入口の地蔵堂と弘法大師爪形堂


子安地蔵尊


弘法大師爪形


参道に並ぶ石仏達


参道に咲く紅梅



安養寺

本堂(左)と不動堂(右)


弘法大師像


不動堂


不動堂

 
不動明王


毘沙門堂


毘沙門堂 扁額


弘法大師堂


弘法大師堂 扁額


本堂屋根を見下ろす


裏山の石仏群(1)


裏山の石仏群(2)


裏山の石仏群(3)



恩智神社 一の鳥居




鳥居奥の石仏?
車道にぎりぎりまで出ており、頑丈なガードで護られている




起り屋根・舟板囲壁の古い民家
(恩智神社 一の鳥居前)

二つの大きな土蔵を持つ民家で、壁の一部に舟板が用いられ、また母屋の屋根は中央部が丸く盛り上がった“起り屋根(むくりやね)”となっている


起り屋根(むくりやね)


土蔵の窓


土蔵に用いられた舟板



大窪寺霊苑より
大阪平野を望む


〔大阪府八尾市垣内〕


観音像



梅岩寺
 
中国風の山門(竜宮門)
聖徳太子は、ここ八尾における廃仏派の物部守屋との戦いに敗れるが、この地に生えていたヌルデ(白膠木)の木で四天王を刻み戦勝を祈願した。 その後、戦いに勝利した太子はお礼に難波に四天王寺を建立し、ヌルデが生えていたこの地に観音を祀り梅岩寺を創建した



本堂
本堂前には紅梅・白梅が咲く



別院(阿弥陀・釈迦堂)


山清水不動尊



岩戸神社 一の鳥居
 
「岩戸神社」鳥居(左)
「天照大神社」社号標石(右)




岩戸神社
 
階段を登ると岩戸神社、右奥の鳥居は高御座神社
右は「日本最初 岩谷弁財天 岩戸神社」社号標石



本殿(弁財天堂)


本殿内 正面の岩が御神体か?



高御座神社
 
高御座神社 境内鳥居(右)と社号標石


拝殿と岩に貼りつくように鎮座する本殿(上奥)


本殿



近鉄 信貴山口駅




西信貴ケーブル 信貴山口駅
近鉄 信貴山口駅と同じ駅舎内となっている




近鉄にて【信貴山口駅】から【枚岡駅】に移動



枚岡神社

参道入口鳥居
創建は神武天皇即位前3年と伝えられる古社、後に奈良の春日大社に枚岡神社のニ分霊を祀ったことから「元春日」とも呼ばれている。 枚岡の社号は、後ろの神津岳の頂上が平らな丘であったことに由来する。 境内に隣接して枚岡梅林があり、500本の梅が植栽されている



子連れの雌の“なで鹿”(左)
雄の“なで鹿”(右)



注連縄と拝殿前石段


拝殿


中門


4棟並ぶ春日造りの本殿




枚岡梅林












 






絵馬




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