山科


蓮如上人所縁の地

【JR山科駅】→徳林庵→十禅寺→人康親王墓→四ノ宮大明神→諸羽神社→志賀直哉旧居跡→若宮八幡宮→山科本願寺南殿跡→光照寺→蓮如上人御指図の井→皇塚→本願寺山科別院→蓮如上人廟所→西宗寺→【JR山科駅】

2014年03月04日 曇り 22,470歩



徳林庵

徳林庵山門
第54代 仁明天皇の第四皇子である、人康親王(さねやす)の菩提を弔うために創建。 この辺りは京都での東海道の出入口にあたり、往時は大変賑わったと言われる 〔京都市山科区四ノ宮泉水町〕



山門前の“わらべ地蔵”


地蔵堂(六角堂)


地蔵堂 扁額


地蔵堂内の地蔵菩薩
この山科地蔵は小野篁により(852年)に作られた京都六地蔵の一つとなっている



井戸と手水鉢(文政4年の銘がある)


阿弥陀三尊と地蔵菩薩の四体石仏
境内の東側にある民家に祀られている。 民家は、かつては前を通る東海道の茶屋であった



茶釜
茶屋であった民家に残された往時の茶釜



人康親王とその弟子 蝉丸の供養塔



十禅寺・人康親王御墓
参道入口標石


「人康親王御墓」参道入口標石
(徳林庵西側に建っている)



「十禅寺」参道入口標石
(徳林庵西側に建っている)



十禅寺

境内入口
人康親王(さねやす)の御所が在った所とされ、親王を開基ととし聖徳太子によって刻まれた聖観音菩薩が祀られていた。 親王が第四皇子つまり「四の宮」であったことから、この辺りを「四ノ宮」と呼ばれるようになったと言われる 〔京都市山科区四ノ宮泉水町〕



本堂



人康親王の墓
(さねやすしんのう)

 
十禅寺の東側にあり、宮内庁の管理となっている



琵琶琴元祖 四ノ宮大明神

改修工事中の四ノ宮大明神(右)と石仏
親王の墓のすぐ西に鎮座しているが、民家に囲まれて分かりにくいところにある



覆屋に安置された石仏


御足摺水
(おあしずりのみず)

 
境内の一角にあり、人康親王が自らの身の悔しさに足で摺(こす)ったところ清水が湧出たと言われる



京阪 京津線




諸羽神社
 
一の鳥居
貞観4年(862年)に清和天皇の勅命により創建



鳥居扁額


境内入口鳥居


拝殿


拝殿の大絵馬


本殿


本殿の装飾


琵琶石(左)と盤座(右)


絵馬



志賀直哉旧居跡

志賀直哉は大正12年(1923年)からの2年間この地に住んだと言われ、「山科の記憶」・「痴情」・「晩秋」等の作品をしたためた 〔京都市山科区竹鼻立原町〕


「志賀直哉旧居宅跡」碑(左)
と「山科之記憶」碑(右)


石碑の後ろに流れる四ノ宮川



若宮八幡宮

境内入口鳥居
境内には神仏習合の名残である観音堂があり、十一面千手観音が祀られている。 また境内には大津皇子・粟津王の供養塔が建つ



本殿と拝殿


拝殿


本殿


観音堂

明治の神仏分離令により寺院は別の場所に移されたが、後に観音様は八幡宮の境内に戻され観音堂が再建された


観音堂扁額


堂内の十一面千手観音像


大津皇子・粟津王の供養塔

大津皇子は天武天皇の第3皇子で、粟津親王は大津皇子の子であった。 大津皇子の死後、粟津親王はこの地に移り住んだとされ、その名残かこの地には“粟津”姓の人が多いとのこと


右:大津皇子供養塔
左:粟津王供養塔



拝殿には“粟津”姓の提灯も見られる


絵馬



山科本願寺南殿跡
山科本願寺土塁跡
 
山科本願寺南殿跡
蓮如上人は本願寺再興のために、山科本願寺を建立。 1km四方の広大な地に堂塔が建ち並び、土塁や濠で囲まれていたとされ、“中世環濠城壁宗教都市”を形成していたと言われる



山科本願寺土塁跡(1)


山科本願寺土塁跡(2)



光照寺
 
山門
蓮如上人が晩年に過ごした山科本願寺南殿跡に建つ寺院
境内前の道路に建つ「蓮如上御塚道」碑(右)


 
境内と「蓮如上人南殿御旧跡」碑



蓮如上人御指図の井

古来より、ここ音羽の里には井戸水は湧かないと伝えられていたが、蓮如上人の指図により掘ってみると清水が湧出たと伝えられている


井戸の底にはゴミが落ちているが、今も水が湧いているようである


井戸の脇に安置された石仏



四ノ宮川に咲く紅梅




皇塚(おうづか)

6世紀前半の古墳(円墳)で大塚・王塚・皇塚などと呼ばれていた。 桓武天皇の墓とも伝えられており、この辺りの地名“大塚”の由来にもなっている 〔京都市山科区大塚西浦町〕


皇塚の碑(1)


皇塚の碑(2)



本願寺山科別院

敷石の参道
蓮如上人は本願寺再興のため、この地に本願寺を創建し、晩年はここで過ごしたとされる。 中宗堂には蓮如上人が自ら刻んだとされる蓮如上人像が安置されている



山門


本堂


中宗堂


鐘楼


伊勢講舎


伊勢講舎扁額


境内に咲く白梅











蓮如上人御塚道 碑
 



蓮如上人御廟所

明応8年(1499年)に山科本願寺南殿にて没した蓮如上人は本願寺山門脇で火葬され、ここに埋葬された。 後に本願寺は東西に分裂するが廟所は東西本願寺で共に管理しているとのこと 〔京都市山科区西野大手先町〕

 
廟所正門と「本願寺第八代 蓮如上人御廟所」標石


蓮如上人御廟所(1)


蓮如上人御廟所(2)



山科本願寺土塁跡



 
「山科本願寺土塁跡」標石(右)



蓮如上人往生の地
西宗寺

この地で没した蓮如上人に因み門前には「蓮如上人御往生之地」の碑が建つ

 
「西宗寺」寺号標石(左)
「蓮如上人御往生之地」の碑(右)



本堂


蓮如上人 放鶯の像

蓮如上人が病気療養中に鶯が“法を聞け・法を聞け”と鳴くのを聞き鶯を放してやったと伝えられている。 像の傍らには鶯に因み梅が植えられている


傍らに置かれた鶯の鳥籠は空になっている



鐘楼


本堂屋根



「五条別れ」道標
 
右の広い通りは旧東海道で、まっすぐ右に進むと三条通を経て三条大橋に、左に曲がると渋谷街道を経て五条大橋に行ける。 設置したのは当時京都に多くの道標を設置した沢村道範

   
左から「右ハ三条通」・「左ハ五条橋・ひがしに六条大仏 今くまきよ水道」・「宝永四年十一月吉日」(1707年)・「願主 沢村道範」



旧東海道
 
旧東海道とまだ新しい道標
今日の出発点となった山科駅前交差点に戻ってきた、このまま500m程行くと朝に訪ねた徳林寺である




湖西線 JR山科駅





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