亀岡


明智光秀ゆかりの地、亀岡を歩く

【阪急 嵐山】→渡月橋→【JR嵯峨嵐山駅】===【JR亀岡駅】===【国道佐伯バス停】→御陵神社→神蔵寺→積善寺→桜天満宮→河阿神社→谷性寺→篠葉神社→養玄寺→佐々尾神社→宝林寺→嶺松寺→【JR千代川駅】

2013年12月09日 曇り 37,898歩



【阪急 嵐山駅】から歩いて
【JR 嵯峨嵐山駅】に移動




嵐山

桂川に架かる渡月橋、背後には特徴ある山容の愛宕山を望む。


渡月橋と嵐山(1)


渡月橋と嵐山(2)


渡月橋と嵐山(3)



JRで【嵯峨嵐山駅】から
【亀岡駅】に移動




JR亀岡駅

亀をイメージし曲線を多用した斬新なデザインとなっている。 平成20年(2008年)に竣工したばかりの、まだ新しい駅舎である。


京阪京都交通バス(亀岡駅前にて)


車体には左から丹波篠山城を築城した「藤堂高虎」、丹波黒井で生まれた「春日局」、丹波亀山城主の「明智光秀」など丹波ゆかりの人物の肖像が描かれている。
:かつて この地は丹波亀山と言われたが、明治の廃藩置県で伊勢国の亀山と混同するため亀岡に変更された。 従って、城の名前は亀山城となっている。



国道佐伯バス停




霞む山並

今日はPM2.5の注意予報が出ており山は霞んで見える。 外出は避けたほうが良さそうであるが、ぶらっと行こか



御霊神社

境内入口鳥居
大同元年(806年)創建、境内にはムクノキの古木が茂る
〔京都府亀岡市稗田野町佐伯〕



拝殿


本殿


御神木のムクノキ(樹齢800年)


ムクノキの幹



神蔵寺

山門手前の朱塗りの「みかえり橋」
〔京都府亀岡市稗田野町佐伯〕



本堂への石段
延暦元年(782年)伝教大師最澄がこの地を訪ねた時に行場として建立し薬師如来を祀ったのが始めとされる、「佐伯薬師」と呼ばれ親しまれている。


 
「神蔵寺」寺号標石


山門


本堂(瑠璃殿)


境内の紅葉と朱塗りの橋



散紅葉の
積善寺
(しゃくぜんじ)


参道石段


石段の右側斜面の散紅葉が綺麗


散紅葉の石段

 
山門と寺号標石


本堂


参道石段脇の散紅葉(1)


参道石段脇の散紅葉(2)


カエデ


イチョウ


カエデとイチョウのコラボレーション


参道石段脇の散紅葉(3)


地蔵堂

境内の片隅に建つ小堂


地蔵菩薩を中心に多くの石仏が安置



“桜石”の
桜天満宮

積善寺境内の本堂の向い側に鎮座し、境内からは桜の花の模様をした“桜石”が出ることで知られる。 「桜天満宮」の社号もこの“桜石”から取ったとされる。
:正式名称は菫青石仮昌(きんせいせきかしょう)と言われ天然記念物になっている。 境内を見回してみるが残念ながら桜石は見当たらなかった。


赤鳥居と本殿


本殿



初冬の里山を行く




人身御供伝説の
河阿神社

(かわくまじんじゃ)

 
境内入口鳥居
今から二千年前、南方からこの地に移り住んだ採鉱冶金の技術を持った民族によって創建されたと伝えられている。〔京都府亀岡市宮前町猪倉土山〕



拝殿


本殿
本殿前にある石は“台石”と呼ばれ人身御供が供えられた。 かつて神社の御神体は「蛇骨」で、人身御供の悲しい伝説が残されている



台石
毎年、ふもとの村の屋根に矢が刺さった家では娘を神前に献上しなければならなかった。 娘は長持ちに入れられ台石に供えられたと言われる。




赤く熟した柿




明智光秀 所縁の
谷性寺
(こくしょうじ)


境内正面全景
別名「光秀寺」とも呼ばれ、境内には明智光秀の首塚や明智山門などがある。 また、境内には明智家の家紋にちなみ5万本のキキョウが植えられ、夏にはキキョウの花が咲き乱れるという、このため「桔梗寺」とも呼ばれている。〔京都府亀岡市宮前町猪倉土山〕



山門


本堂

 
本堂前の仁王像


境内の石仏群


明智山門

明智山門をくぐると正面(写真右奥)に「光秀の首塚」がある。

 
門の蟇股に刻まれた明智家の家紋「桔梗」


明智光秀の首塚
 
「光秀公首塚」
山崎の合戦で秀吉に敗れた光秀は、本拠地の坂本城に向い主従十数騎で敗走する。 しかし途中の小栗栖の竹藪で落武者狩の農民により竹槍で突かれ、重傷を負い自刃したと言われる。 光秀の胴は現場の北1.5kmの「明智光秀胴塚」に、首は家臣の溝尾茂朝(庄兵衛)によってここ谷性寺に埋葬されたとのこと。 しかし光秀の首の埋葬地には諸説あり、京都東山「明智光秀の首塚」や「近江坂本城」などがある。




鐘楼


楽聚観音


境内のキキョウ園
夏にはキキョウの花が咲き乱れる



散紅葉の
篠葉神社
(しのはじんじゃ)


鳥居前の参道や境内は散紅葉で真っ赤に染まり踏み込むのを一瞬ためらう。 右の石垣は先ほど訪ねた谷性寺。





境内入口鳥居
延喜年間(902〜926年)に清和源氏の祖である貞純親王によって創建されたと伝えられている。 天正年間(1573〜1593年)に明智光秀の丹波攻めの兵火により焼失した。 現存の社殿は承応2年(1653年)に再建されたものとのこと。〔京都府亀岡市宮前町猪倉宮ノ下〕



拝殿


本殿(覆屋)


本殿


境内側から鳥居・参道を見る



養玄寺

鐘楼門
〔京都府亀岡市宮前町猪倉中之垣内〕


本堂(右奥は鐘楼門)


境内の鎮守社


境内の落葉





養玄寺の傍に建つ板碑




板碑



田園の一本道を進む




佐々尾神社

境内入口鳥居
かつては神前村 山の谷 笹尾に鎮座したのが始めとされる。 正徳5年(1715年)に、現在の地に社殿を建立した。〔京都府亀岡市宮前町神前障子〕



拝殿


本殿


境内摂社が並ぶ(拝殿越しに見る)


拝殿の絵馬(1)


拝殿の絵馬(2)

 
なんともひょうきんな狛犬



散紅葉の
宝林寺

法輪寺散紅葉の参道
〔京都府亀岡市宮前町神前狭間〕


 
山門と「寶林寺」の寺号標石


本堂


収蔵庫


本堂屋根と紅葉





JR千代川駅に向け
府道73号を行く





嶺松寺
(れいしょうじ)


春には境内の枝垂桜を始め桜の花が咲き乱れると言う。
〔京都府亀岡市千代川町北ノ庄東谷〕



本堂
左手前には鶴と亀の彫刻が置かれている



鶴と亀の彫刻


二十一尊磨崖仏

嶺松寺の境内脇の石段を登った所にあり、磨崖仏は覆屋に護られ保存されている。 造られた年代は定かではないが、吉野期(南北朝時代 1337〜1392年)を下らないとされている。


二十一尊磨崖仏が安置された小堂


二十一尊磨崖仏(左半分)
巨大な岩に横一列に20の円刻を並べ、中には21体の仏が浮彫りされている。


二十一尊磨崖仏(右半分)


左から2番目の大きな仏像は阿弥陀如来


正面右側右から2番目の円刻内には2体の仏が刻まれている



JR千代川駅





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