京都

新島襄と同志社大学

【地下鉄 北大路駅】→同志社大学 今出川校地→鴨沂高等学校→新島旧邸→元春日小学校→頼山陽山紫水明處→女紅場跡→【阪急 河原町駅】

2013年10月30日 晴れ



比叡山遠望

賀茂川越しに望む比叡山



同志社大学
今出川校地

 
同志社大学 西門(左)
「薩摩藩邸跡」碑(右)
同志社大学 今出川校地付近には、かつて薩摩藩邸が置かれていた。



彰栄館(重文)

明治17年(1884年)に竣工、京都市内にあるレンガ造りの建物では最古のものとのこと。 建物の東側にある塔は鐘塔と時計塔を兼ねている。











「彰栄館」


重要文化財 同志社彰栄館
定礎 明治16年(1883年) 12月21日
開館 明治17年(1884年) 9月15日



定礎 明治十六年 A.D. 1883.



礼拝堂
(チャペル
 重文

明治19年(1886年)に竣工

















A.D. 1885


定礎 「明治拾八年 十二月」


堂内のステンドグラス窓


床に映るステンドグラス窓





重要文化財 同志社礼拝堂
定礎 明治18年(1885年) 12月18日
献堂 明治19年(1886年) 6月25日




ハリス理化学館(重文)

明治23年(1890年)に竣工














定礎 「明治二十二年」



クラーク記念館(重文)

明治27年(1894年)に竣工




















重要文化財 クラーク記念館
定礎 明治25年(1892年) 11月 4日
開館 明治27年(1894年) 1月30日



A.D. 1892 明治二十五年


記念館室内








クラーク博士夫妻と息子の肖像

















敬明館
(登録有形文化財)

 
大正9年(1920年)に竣工、W.Mヴォーリズの設計。

 






A.D. 1918年 大正七年


館内





アーモスト館
(登録有形文化財)


昭和9年(1932年)に竣工、W.Mヴォーリズの設計。

















大河ドラマ「八重の桜」

学内には同志社大学の創設者である新島襄と妻の八重さんを描いた大河ドラマ「八重の桜」のポスターが貼られている。



立志の碑

明治8年(1875年)に新島襄は、山本覚馬と「同志社」を結社し、私塾 同志社英学校を開設した。【現地説明板参考】。



鴨沂高等学校
(おうきこうとうがっこう)

 
校門
明治5年(1872年)、九条家河原町邸に創立した日本で最初の女学校「新英学校女紅場(によこうば)」が始めとされる。 その後「女学校及紅場」、「京都第一高等女学校」を経て、現在の男女共学の「鴨沂高等学校」に至っている。 「新英学校女紅場」の時には大河ドラマ「八重の桜」の八重が教鞭をとっていた。


歴史ある校舎
校舎は昭和8年(1933年)に竣工した歴史ある建物となっているが、現在校舎の改築計画があり学校は相国寺門前町(同志社大学付近)に移転中である。 校内には、かつてヘレンケラーが講演を行ったと言われる講堂も残されている。




新島旧邸
 
同志社大学を創設した新島襄の私邸。 明治8年(1875年)に「同志社英学校」が開校した所で同志社発祥の地となっている。 「新島襄先生菖邸」


明治11年(1878年)に竣工



元 春日小学校
 
丸太町通り河原町上るにあり、明治2年(1879年)の創立で明治10年(1887年)にこの地に移された。 現在の建物は昭和初期のものとのこと。 平成7年(1995年)に廃校となり、現在は文科省の大学共同利用機関となっている。 校庭の片隅には今は珍しい二宮尊徳(金次郎)の像が建つ。








二宮尊徳(金次郎)像



頼山陽山紫水明處
 
「日本外史」の著者である頼山陽が文政11年(1828年)自宅の庭に建てた草庵。 “山紫水明”という言葉はここから使われるようになったとのこと。



女紅場址
(にょこうばあと)

 
先ほど訪ねた鴨沂高等学校の前身である日本最初の女学校「新英学校女紅場」が在った所。 石碑は鴨川に架かる丸太町橋の西詰の南側に建っているが、石碑の下には「従是 西九十三米・南九十米」と刻まれている。 「従是 西九十三米・南九十米」と刻まれている(右)。
:女紅場(にょこうば)は女工場とも書き、当時の女性に手芸・裁縫の他に読み書き算盤や英語などを教えたと言われる。


女紅場址は土手町通に面したこの辺りか?。 今はマンション等が建ち並び、九条家河原町邸に建てられたと言われるが往時を偲ぶものを見ることはできない。




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