王寺町(その1)
戦国の梟雄(きょうゆう)
松永弾正の墓
【JR三郷駅】→神奈備神社→龍田大社→松永弾正顕彰碑→称名寺→孝霊天皇陵→達磨寺(松永弾正の墓)→片岡神社→舟戸児童公園 D51→(その2)
2013年10月10日 快晴 26,016歩
JR三郷駅
JR三郷(さんごう)駅々名標
JR三郷(さんごう)駅々舎
神奈備神社
(かむなびじんじゃ)
奈良県生駒郡 龍田大社の境外末社
龍田大社
第10代 崇神天皇年間(3世紀後半)の疫病・凶作時に、天皇の勅願により神のお告げの通り龍田山にニ柱※の風神(天御柱命・国御柱命)を祀ったのが始め。
境内入口赤鳥居
〔奈良県生駒郡三郷町立野南〕
境内参道
拝殿
本殿
摂社 龍田恵美須神社
摂社 三室稲荷神社
白滝大神
絵馬
社号のみの書かれた簡素な絵馬である
松永弾正久秀 顕彰碑
松永秀久は主君の三好長慶を裏切り殺害、また足利13代将軍 義輝も殺害し、更に東大寺大仏殿を焼き払うなどの悪行を重ねたと言われる。 久秀は織田信長の上洛に伴い家臣となるが、信長をも裏切り信貴山に立てこもる、降伏を迫られた久秀は信長が欲しがっていた「平蜘蛛茶釜」に火薬を詰め爆死したと伝えられる。 悪行を重ね戦国時代を生き抜いた梟雄(きょうゆう)として知られる。
松永弾正秀久 供養塔
秀久の墓は、この近くの達磨寺にある。
称名寺
称名寺正面
浄土真宗の寺院で、天明4年(1784年)の創建、境内には親鸞聖人と幼少期の法然上人の像が建っている。 〔奈良県生駒郡三郷町立野北〕
山門
「称名寺」寺号標石(左)
「親鸞聖人・法然上人 二祖堂」碑(右)
山門の彫刻
本堂
寺紋?
太鼓楼太鼓楼は浄土真宗のお寺にしか無いと言われる。
親鸞聖人・法然上人像と二祖堂
ニ祖堂と親鸞聖人と法然上人像
親鸞聖人と法然上人像(幼少期)
親鸞聖人
法然上人(幼名:勢至丸)
大和川
大和川に架かる「神前橋」より撮影、左は本流の大和川
地蔵堂
孝霊天皇陵
(こうれいてんのう)
参道登り口石段 〔奈良県北葛城郡王寺町本町〕
孝霊天皇片丘馬坂陵
参道の敷石道
遥拝所第7代天皇で、いわゆる欠史八代※の天皇の一人。
※:第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)から第9代開化天皇までの8人の天皇のことで、「古事記」や「日本書紀」には記載があるが実績の記録が残されていない。
「孝霊天皇 片丘馬阪陵」碑(右)
陵形:山形
達磨寺
山門(西門)
推古天皇(592年〜628年)の勅願により創建、その後幾度かの兵火により荒廃するが永享年間(1429年〜1441年)に中興される。 〔奈良県北葛城郡王寺町本町〕
本堂
達磨大師の墓とされる古墳(3号墳)の上に建立されているとのこと。
鐘楼
一夜竹
達磨大師が竹枝を刺すと一夜にして芽が出てきたと伝えられる。
雪丸像
聖徳太子の愛犬「雪丸」の像
雪丸像
薬師石
目をつぶり両手で抱くと病気が平癒するとのこと。
松永弾正久秀の墓
信貴山城で自害した久秀の遺骸を筒井氏がここに埋葬したと伝えられる。
片岡八郎利一と片岡春利の墓
片岡八郎利一 :南北朝時代に南朝の後醍醐天皇の皇子 大塔宮護良親王(もりよししんのう)の家来として鎌倉幕府を倒すため京で戦った。 しかし、戦いが不利となり熊野に逃れる途中に十津川にて親王を護り討死した。 片岡春利:戦国時代の片岡城々主
達磨寺中興記石塔
石塔(右)と石碑(左)
石塔(左)とその下に埋められていた石碑(右)
埋められていた状況
石塔の下に埋められていた
備前焼大甕(左)・青磁香炉(右)
達磨寺2号墳
境内には6世紀後期の古墳が3つあり、何れも直径15m程の円墳。
石室内
九重石塔
灯籠や五輪塔の台座を積重ねたもの
石塔埋納遺構
石塔と3点の収納物
本堂の改修工事で発見された本堂下に納められていた遺構で、石塔の内部には合子に納められた水晶製五輪塔舎利容器と舎利が発掘された。
舎利
水晶製 五輪塔舎利容器
合子(ごうす)
左から 聖徳太子像・千手観音像・達磨大師像
千手観音像・達磨大師像
聖徳太子像・達磨大師像
片岡神社
境内入口赤鳥居
境内
拝殿
国道168号線の陸橋にて
王寺駅東のJR線と近鉄線の陸橋の下に蒸気機関車が展示されているようである。 近鉄 田原本線(右上)、JR関西本線(手前)、蒸気機関車D51(左中)
舟戸児童公園のD51
車体はD51型の895号で日立製作所製、かつてはここ関西本線や草津線を走っていたとのこと。 機関車の展示では珍しく階段が付けられ運転室にも入ることが出来る。 〔奈良県北葛城郡王寺町舟戸〕
D51-895号 正面
後方の炭水車と階段
動輪
運転室
運転室の窓
圧力計
昭和橋から見る大和川
王寺町(その2)に続く